心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

「齋藤秀雄メモリアルコンサート1984」を聴く

2013-06-23 09:37:44 | Weblog

 久しぶりに梅雨らしい日々が続きました。広島では台風も近づいていたからでしょうか、ずいぶん雨が降りました。そんな雨の夜、ベランダの鳩さんに会うことはもうありませんでした。月末には部屋の掃除に併せてベランダも綺麗にしていただくことにいたしましょう。 
 帰阪したその夜は、いつも通り、窓を全開にした部屋のベッドに身を委ねました。サーという静かな雨音が、次第に子守唄のように聞こえて、いつの間にか眠ってしまいました。何も考えずに、ただひたすらに眠る。贅沢な時間です。
  今日は厚い雲が空を覆い、肌にはひんやり感が漂っていますが、小鳥たちの囀りが心地よい、そんな朝を迎えています。こういう時は、何も考えずに、ただひたすらLPレコードを聴くに限ります。取り出したのは「齋藤秀雄メモリアルコンサート1984」(2枚組)でした。多くの音楽家を育てた斎藤秀雄の没後10年にあたる1984年、小澤征爾や秋山和慶らが中心になって、国内外の教え子たちを結集して開いたメモリアル・コンサートの収録版です。これが今日のサイトウ・キネン・オーケストラにつながっています。
 曲目は、「モーツァルト:ディヴェルティメントニ長調」「R・シュトラウス:交響詩《ドン・キホーテ》」「シューマン:交響曲 第3番 変ホ長調 《ライン》」「J.S.バッハ:シャコンヌ 〔齋藤秀雄編〕」「パガニーニ:常動曲」です。秋山和慶と小澤征爾が指揮する桐朋学園齋藤秀雄メモリアルオーケストラの演奏で、ヴィオラ奏者に今井信子、チェロ奏者に堤剛の名前も記されています。
 なにも考えずに、また日常の戯言も忘れて、聴き入っていると、ふと小林秀雄の「美を求める心」(考えるヒント3)が浮かんできました。若い人たちに絵や音楽が解るようになるためにはどういう本を読んだら良いのかと質問された小林秀雄は、こう言います。

 「美術や音楽に関する本を読むことも結構であろうが、それよりも、何も考えずに、沢山見たり聞いたりする事が第一だ」「極端に言えば、絵や音楽を、解るとか解らないとかいうのが、もう間違っているのです。絵は、眼で見て楽しむものだ。音楽は、耳で聴いて感動するものだ。頭で解るとか解らないとか言うべき筋のものではありますまい。先ず、何を措いても、見ることです。聞くことです」「音楽は、諸君の耳から這入って真直ぐに諸君の心に到り、これを波立たせるものだ。美しいものは、諸君を黙らせます。美には、人を沈黙させる力があるのです」....。

 私たちは、ついつい解説本を手に取ってしまいがちです。しかし、この10頁ほどの小論を何度も何度も読み返していると、言葉で理解することと、自分の耳と目、なによりも心で理解することの違いのようなものが、ぼんやりと見えてきます。そういえば、世の中、あまりにもハウツウ本が多すぎはしないか。解ったつもりになってはいないか。時には心静かにものを見つめる、考える時間が必要なのかもしれません。
 そうそう、昨日は家内と「京都アンティークフェア」に行ってきました。場所は伏見区竹田。京セラの本社がある隣の建物です。会場には凡そ300店舗あまりの古美術・アンティークディーラーが集まっていて、その規模は西日本最大。初めは二人で一緒に見て回りました。後の1時間は、それぞれの関心に沿って別行動でしたが、合流すると、コーヒーカップとお茶碗。私の手元には洒落たビールジョッキーとレリーフが1枚。実は私は、1時間の大半を勾玉のお店で過ごしていました。小林秀雄がこよなく愛した勾玉。古代の人々の造形、その手触りを楽しんでいました。もう少しで衝動買いしそうになりましたが、相当な額でしたので、今回は触れただけでした。
 レリーフの方は、1000円セールスの棚にあったものですが、高いのか安いのか判りません。部屋のお飾りにはなると思い買い求めました。でも、意味が解らない。12聖人、それとも12哲人、それとも.....。縦19センチ、横13センチのレリーフ。ああでもない、こうでもないと考えるだけでも楽しいものです。
 今日は夕刻、家内のお供でフェスティバルホールにお出かけです。AYAKA HIRAHARA 10th Anniversary CONCERT TOUR 2013 ~Dear Jupiter~ 

 

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