いよいよゴールデンウィーク。と言っても、若い頃ほどのウキウキ感はありません。毎日ゴールデンウィークとなる日も、そう遠くはないでしょうから。でも、まだ現役です。1日目の今日は、ゴンタ爺さんの身体を洗ったあと、熱帯魚の水槽の大掃除、次いで庭掃除と草木のお手入れでした。午後には近所のホームセンターに行って、マスクメロン、キュウリ、オクラ、トウモロコシの苗を仕入れてきました。
ところで先月は、後半に二度広島にでかけました。私の3年間にわたった広島勤務の締めくくり、次代の方々へのバトンタッチでもあります。キックオフ懇談会と銘打った会合では、若い方々の熱い思いを肌で感じつつ、帰りの新幹線の中で「後はよろしくね」と言う私がいます。
広島と新大阪は1時間半、あっと言う間です。鞄の中から取り出したのは「今昔物語」(角川ソフィア文庫)でした。スキマ時間に読み進んだ物語も数ページを残すのみ。
こういう作品を説話文学というのだそうですが、広辞苑によれば「神話・伝説・童話などの説話を素材とし、文学的な内容や形態をそなえたものの総称。多くは説話を蒐集した今昔物語集・宝物集の類や御伽草子のような、平安末期から鎌倉・室町時代に行われた文学をいう」「叙事的・伝奇的・教訓的・寓話的・民衆的な要素をもち、個性に乏しく芸術性も低いが、民衆の意見・嗜好・信仰などを端的に示していて、それなりの文学性が認められる」のだそうです。
幼少の頃、近所にいた老夫婦、江戸時代生まれのお爺さんお婆さんから聞いたお話、明治生まれの父から聞いた小泉八雲の怪談話、南方熊楠、柳田國男に触発されて関心を持ち出した民俗学。その原点が説話集にあるような気がいたします。
現代風にいえばノンフィクションというのでしょうか。今と昔では時代環境もずいぶん変わったのに、人の「思い」は、いつの世も単純明快。もっと泥々しいところで地に足のついた検証が要請されているのでしょう。それをカタカナ言葉でもっともらしく言うから始末が悪い。こんなことを、ついつい会議の席で宣うのは歳のせい?(笑)
29日の休日は「四天王寺春の大古本祭」の最終日でした。午前10時の開店をめざして出かけました。自宅からバス・電車を乗り継いで1時間の距離です。
さすがに最終日の開店直後は客も疎ら。時折お香の匂いがする境内の広場で、じっくり時間をかけて見て回りました。最近、古典を引きずっているので、今回のお目当ては「古典」。2軒目のお店、日之出書房さんで見つけたのが、グラフィックス版「日本の古典」シリーズでした。それも1冊100円。「竹取物語・伊勢物語」「今昔物語・宇治拾遺物語」「平家物語」「雨月物語」「お伽草子」の5冊を求めました。A4版で厚さ2センチ強ですから、5冊となると結構な重量です。
お隣のお店では、小倉百人一首「典雅かるた」に目が止まりました。箱はずいぶん古そうですが、札は綺麗で一枚一枚に描かれた詠み人の絵が気に入りました。ここまでくると骨董品?でもお値段は千円でした。
帰り際に目に付いたのが岩波書店の「現代日本文化論」シリーズでした。全巻揃っていましたが、5巻「河合隼雄×谷川俊太郎=ライフ・スタイル」を手にしました。好奇心旺盛なわりに、ふと自分の立ち位置を考える。そんな瞬間でした。 ゴールデンウィークには、京都「みやこめっせ」で日本最大級の「春の古書大即売会」もやっています。行こうか行くまいか思案中ですが、こちらは規模が大きすぎて探しにくいのが難。いずれにしても、明日は京都にお出かけです。こどもの日の5日は、孫君たちとお出かけの約束をしています。老夫婦のできることはこの程度でしょうか。