第三十九候立秋未候「蒙霧升降」(もうむしょうごう)。残暑厳しい中にも、早朝ひんやりとした白い霧が立ち込める意味なのだそうです。ずいぶん昔、夏山に登って満天の星空を眺めながらキャンプした翌朝、深い霧に覆われたブナの原生林を歩いたことを思い出します。
でもねえ。ここ大阪では、そんな風景は望めません。我が家の庭で育ったスダチをスライスしてお酒に浮かべたり、イチジクの実が食べ頃になるのを待つことで、なんとなく季節の移ろいを感じる、そんな日々を過ごしています。そうそう、イチジクって、実の中に花が咲き外から見えないことから「無花果」と書くのだそうです。知らなかったなあ。
暑い夏に気分だけでもと、きょうはレコード棚からヴォーン・ウィリアムスの「南極交響曲(交響曲第7番)」を取り出しました。指揮はアンドレ・プレヴィン、演奏はロンドン交響楽団です。前奏曲・スケルツォ・情景・間奏曲・エピローグからなる大作ですが、ジャケットには元南極観測隊長である永田武・東大教授の「南極の光と影」と題する文章のほか、南極の写真も添えてあり、耳と目から南極の寒さと厳しさを感じることができます。.......かもしれません(笑)。
この「南極交響曲」、作曲されたのは1950年の頃。私とほぼ同じ年数を経たことになります。そんな私は今週、66歳のお誕生日を迎えました。老夫婦二人だけのささやかなお祝いの一日でしたが、大阪・梅田の阪神百貨店で開催中の「中古&廃盤レコード・CDセール」を覗いたりして、久しぶりに繁華街を歩きました。昼食は麺類の専門店「美々卯」さんで、蕎麦のお替わりが自由の「にぎわい蕎麦」をいただきました。割子蕎麦10枚もたいらげました。(笑)
この日のメインイベントは、夜にフェスティバルホールで開かれたバレエ「くるみ割り人形」全2幕でした。芸術監督・演出・指揮は西本智実さん。東京公演に先立っての大阪公演です。「くるみ割り人形」の演奏は何度か耳にしたことはあっても、バレエというものを観たのは今回が初めてでした。さあてどんな世界が待ち受けているのか..........。
オーケストラピットに西本さんが登壇して幕が開くと、舞台はクリスマス・イブの場面。真夏の夜にクリスマス・イブ、これもまた楽しいことでした。マリーがプレゼントにもらったくるみ割り人形が皆をおとぎの国に誘います。華やかで幻想的な舞台。でも、予備知識を持たない私には、ある種の戸惑いもありました。演奏に合わせて無言のまま舞台を縦横に踊るバレリーナ。それを受け止める感性が私には不足していたかもしれません。それでもオーケストラの美しい響きと場面展開に、ついつい身を乗り出している私がいました。それは、テレビが普及していない昭和の幼い頃に見た天然色の8ミリ映写機の世界に近いものでした。
66歳にして初めてのバレエ鑑賞。ひと言も発しないかわりに全身を使い演奏に合わせて場面と心を表現しようとする舞台芸術に、言葉と所作で表現するオペラや文楽、能楽とは異なる、幻想的な世界を垣間見た思いがいたしました。まだまだ知らないことがたくさんあります。
さて、気が付けば8月も半ば、リタイアして1カ月が経過しました。今週も、かつての同業他社の方々との呑み会がありましたが、不思議なことに1カ月も経つと、業界のことをこれまで以上に冷静に見つめている私がいます。業界特有の視点ではなく、もっと広い意味での時代感覚が蠢きます。人間って不思議な生き物です。
そんな8月下旬の土曜日、夏休みも残り少なくなった孫長男君を連れて大学主催のこども工作教室にでかけてきました。朝8時30分に駅の改札口でリュックをさげた孫君と合流して会場に向かいましたが、すでに開門を待つ親子連れで長蛇の列でした。孫君は6講座に参加しました。慣れない小学生を相手に、先生方や学生さんたちが優しく工作の指導をなさっている姿に、いつも感心します。
別れ際に孫君に言いました。「これで夏休みはおしまいだよ」と。来週から学校が始まり、空手教室や算盤塾も再開です。
かくいう私は来週、滋賀県彦根市にいる大学時代の親友と久しぶりに再会します。そうこうするうちに秋が訪れます。その頃には私もピカピカの1年生です。人の呼吸に合わせてゆったりと進む時間と、楽しいお付き合いといったところでしょうか。
写真説明
写真に写っている胡蝶蘭は、1年前、家内が仕入れに行く地下街の花屋さんで見つけた開花後のなんとも弱々しい株でした。それを500円で買って帰って大事に育てたら花が咲きました。花茎の誘引が下手で、ずいぶん間延びしたものになってしまいましたが、いま我が家の居間を飾っています。