四国八十八カ所遍路の旅もあと2回、涅槃の道場「香川県」入りを果たしました。4月のウォーキングでは最澄の生まれた大津を歩きましたが、今回は空海が生まれた善通寺が舞台です。関西に近いこともあって、1泊2日の行程で以下の12カ寺を廻りました。
第六十六番札所・巨鼇山雲辺寺(三好郡池田町) ご本尊は千手観世音菩薩
第六十七番札所・小松尾山大興寺(三豊市山本町)ご本尊は薬師如来
第六十八番札所・七宝山神恵院(観音寺市) ご本尊は阿弥陀如来
第六十九番札所・七宝山観音寺(観音寺市) ご本尊は聖観世音菩薩
第七 十 番札所・七宝山本山寺(三豊郡豊中町) ご本尊は馬頭観世音菩薩
第七十一番札所・剣五山弥谷寺(三豊郡三野町) ご本尊は千手観世音菩薩
第七十三番札所・我拝師山出釈迦寺(善通寺市) ご本尊は千手観世音菩薩
第七十二番札所・我拝師山曼荼羅寺(善通寺市) ご本尊は大日如来
第七十四番札所・医王山甲山寺(善通寺市) ご本尊は薬師如来
第七十五番札所・五岳山善通寺(善通寺市) ご本尊は薬師如来
第七十六番札所・鶏足山金倉寺(善通寺市) ご本尊は薬師如来
第七十七番札所・桑多山道隆寺(善通寺市) ご本尊は薬師如来
まず初めにお参りしたのは、四国霊場のうち最も高い標高911メートル、四国山脈の山頂近くにある雲辺寺です。歩いて登ったら大変だろうなあと思いながら、100人乗りのロープウェイに乗って山頂をめざしました。道々、五百羅漢の歓迎を受けながら本堂と大師堂にお参りしましたが、こんな高いお山のてっぺんによくも立派なお寺を建立したものだと、ただただ驚くばかりでした。
次に向かった大興寺では、山門を入ったところにあった樹齢1200年余りのカヤの木(イチイ科の常緑針葉樹)のお迎えを受けました。境内に向かう石段は、いったい何人の人々がお参りしたのかと思うほどにすり減っていて、お遍路の歴史の重さを知ることになります。帰りがけに山門を見ると、お寺の外の田圃ではそろそろ田植えの準備です。長閑な風景に心が和みました。
観音寺と神恵院は琴弾公園内の琴弾山の中腹、同じ境内にありました。聞けば、もともと神恵院は琴弾八幡宮の別当寺だったけれども、明治初年の神仏分離令で、観音寺境内に移されたのだとか。観音寺の本堂、大師堂をお参りしたあと、近代的な建物の中にある神恵院に向かうことになります。
そうそう、この日、白衣を着た外国人の若い男女を見かけました。わたしよりも上手に般若心経を唱えていらっしゃる姿をみて驚きました。
五重塔の平成大修理を進めている本山寺は、四国八十八カ所の中で唯一、馬頭観世音菩薩を本尊としているお寺です。菩薩についてはまだまだ不勉強な私ですが、農耕、馬が関係ありそうで、境内には2頭の馬の立像が立っていました。
以上をもって1日目のお参りは終了です。この日は瀬戸内海に面した丸亀市のホテルで泊まりました。
2日目は朝7時半に宿を出て、弥谷寺をめざしました。このお寺、空海が幼い頃に修行したところのようですが、なんと本堂までの石段の数、530余。深い森の中に分け入るように嶮しい石段が続きました。石段の横には苔むした石仏、途中に大きな観音様がお出迎えでした。
聞けば、この弥谷山はその昔、頂上周辺が「姥捨山」だったそうです。食べるにも困る時代、薄暗い森の中、子に背負われた年老いた方々の終の棲家となり、山全体に死者の霊が宿っていると言われます。途中に出会った大きな観音様が、温かい心ですべてを包み込んでいらっしゃるということなんだろうと思いました。
大師堂の奥には、空海が幼少の頃に学問をしたと言われる「獅子の岩屋」があり、大師の像と、その父母の像が安置されています。本堂から大師堂へ向かう途中の岩壁には、大師が刻んだと言われる「磨崖仏(まがいぶつ)」があります。
真魚(幼名)こと空海は、774年、屏風ヶ浦、現在の善通寺界隈で生まれました。そのため、空海に関わるいろいろな伝説が今も生きています。次に訪ねた出釈迦寺は「捨身ヶ嶽の奇跡」で知られるお寺です。真魚7歳の頃、「私は将来仏門に入り、仏の教えを広めて多くの人を救いたい。私の願いが叶うなら釈迦如来よ、姿を現したまえ。もし叶わぬのなら一命を捨ててこの身を諸仏に捧げる」と、断崖絶壁から身を投じたところ、紫色の雲が湧き、釈迦如来と羽衣をまとった天女が舞い降り、雲の中で弘法大師を抱きとめたのだそうです。信じるか信じないか......。
四国霊場で最も古い推古四年(596)に創建されたのは曼荼羅寺です。讃岐の領主・佐伯家の氏寺として創建されました。空海が亡き母玉依御前の冥福を祈るためにこの寺を訪れたのは唐から帰朝した翌年のことだったそうです。「唐の青龍寺にならって伽藍を三年がかりで建立。本尊に大日如来を祀り、唐から持ち帰った金剛界と胎蔵界の曼荼羅を安置し、寺名を「曼荼羅寺」に改めました」というお話しがありました。
雨の少ない香川県は、昔から水不足と闘ってきた歴史があります。そのため、至る所に大きな溜池を見かけます。こうした溜池を築いたのも土木技術に長けた空海の時代です。甲山寺は、数ある溜池のなかで最も大きい満濃池の改修した821年に建立されたのだそうです。空海は、薬師如来を刻んで奉納しています。
真言宗善通寺派の総本山である善通寺。総面積約45,000平方メートルに及ぶ広大な境内に驚きました。京都の東寺、和歌山の高野山と並ぶ弘法大師・空海の三大霊跡のひとつです。
本堂(金堂)には高さ3メートルにもおよぶ薬師如来像があり、薄っすらと眼を開いて私たちを見つめていらっしゃいました。それを身近で見上げながら般若心経を唱えていると、これまで感じたことがない高揚感が全身を走る、そんな感覚を覚えました。四国遍路の旅で初めて感じたことでした。
ここの御影堂(大師堂)の地下には、暗闇の中、法号を唱えながら大師と結縁する「戒壇めぐり」という道場があります。わたしは高野山でいちど体験したことがありますが、引き返すわけにもいかず、真っ暗な空間を同行二人、前に前に進んでいくことになります。
ここで昼食休憩です。善通寺と言えば饂飩、金毘羅宮の参道沿いにある饂飩屋さんで美味しい饂飩定食をいただきました。
次に向かったのは金倉寺です。奈良時代に地元の豪族・和気道善が建立したお寺です。本堂前には大きな数珠が下がっていて、それを下に引くと上から何個かの数珠がぱちぱちと音を立てて落ちてくる仕掛けになっていて、なんとも清々しい気持ちになります。
今回の打ち止めは道隆寺でした。仁王門をくぐるとこんな案内板がありました。「眼なおし薬師さま」。ご本尊さまは弘法大師御作の薬師如来の胎内に開祖道隆公御作の薬師如来を納めた二体薬師さま、眼なおしの薬師さまとして全国で有名な薬師さまです。本堂、大師堂とお参りしたあと、先達さんに案内されたのは「潜徳院殿堂」でした。「当山薬師如来さまの御慈悲により眼病平癒した京極公は医学を学び特に眼科の名医、町名尽きるも我が魂魄を道隆寺に留め領民を救おうと請願される」と。徳島を巡っていた時にも同じようなお寺がありましたが、わたしも白内障の初期段階です。平癒を信じて御札を奉納させていただきました。
今回の遍路の旅のお相手は、82歳のお爺さんでした。バスの座席も隣同士、ホテルの部屋も一緒でした。そのお爺さん、20年前に定年退職後、歩き遍路を含めて11回も四国八十八カ所を巡っていらっしゃいました。わたしにとっては大先輩になります。お持ちの経本はぼろぼろ状態ですが、それでも大切に扱っていらっしゃる。聞けば、高野山を含めていろいろなお寺で修行をされている由。わたしなど足元にも及びません。前職は銀行務め、なんと私の父と同じ会社でした。
夕食後は、ご持参のお酒をいただきながら、いろいろなお話しをさせていただき、たくさんの気づきをいただきました。早朝4時にはお目覚めになって、いわゆる「朝のお勤め」をされていましたが、人それぞれにいろんな生き仕方があることを学ばせていただきました。
これぞ一期一会の醍醐味と言ったらよいのでしょうか。今後いつお会いできるかわかりません。固い握手をしてお別れをしました。そして私のリュックの中には、購入したばかりの真新しい経本「奉納四國八十八カ所」が入っています。