先週は街歩きの11月企画のため滋賀県近江八幡に出かけ、ヴォーリズ建築を堪能してきました。春先にプライベートで行ったときには入ることができなかったヴォーリズ記念館(ヴォーリズ邸)やハイド記念館(ヴォーリズ学園)にも入れていただき、在りし日のヴォーリズ夫妻の人となりを肌で感じることができました。
焦香、蘇芳色、琥珀色、蘇芳色、洗朱、金糸雀色、緋色、丹色.....。秋の風景はいろんな色で満ちていますが、例年になく鮮やかな紅葉を楽しんだ今年の紅葉も、そろそろ終わりでしょうか。お不動さんの大イチョウも、昨日あたりから散り始め、境内には黄色い絨毯が敷き詰められました。
お不動さんといえば先日、長男君と孫を連れて朝のお散歩中に、本堂横の玉垣に「吉本せい」という名前を見つけました。いま放映中のNHKテレビの朝ドラ「わろてんか」の主人公?刻まれた「大阪南区笠屋町」をネットで調べてみると、大正の初めに吉本興業部が設立された所のようです。このお不動さんには「笑魂塚」もありますから、「お笑い」とは深い関係がありそうです。さすが大阪のお不動さんです(笑)。
そんな秋の一日、大学時代の先輩たちと京都で一献傾けました。延々と呑みつづけ、あとは古くからある喫茶店「築地」でコーヒーをいただく、いつものコースです。この日の話題は、私の歩き遍路に関連して、地方の過疎化と高齢化でした。その際に一人の先輩から勧められたのが、平田オリザ&藻谷浩介著「経済成長なき幸福国家論」(毎日新聞出版)でした。さっそく手にしてみると、表紙には「下山の時代を、より”おもしろく”」「下り坂ニッポンの生き方」という文字が踊っています。
劇作家の平田さん、エコノミストの藻谷さん。これまでも相応の関心を寄せてきた方ですが、リタイア後は少しご無沙汰していました。確実に人口が減っていくなかで、いつまでも成長率にこだわっていてよいのか。都市への人口集中と過疎化という現実にどう向き合っていくべきか。ただ縮こまるのではなく、新しい発想、新しい文化、新しい価値観、新しい生き方が求められてはいないか。........首都圏の大学規模を抑制して若者の東京集中の流れに歯止めをかけようなどという浅はかな施策にうんざりしていた私には、すごく新鮮に感じました。読み終えて次に手にしたのは、平田オリザ著「下り坂をそろそろと下る」(講談社現代新書)でした。
こうしたテーマは、京都こころの未来研究センターの広井良典さんの「ポスト資本主義~科学・人間・社会の未来」「定常型社会~新しい”豊かさ”の構想」(岩波新書)にも相通じるものがあります。今月半ばには、ご本人が登壇される「定常化・高齢化社会の”創造的”生き方を考える」トークセッションに参加する予定です。
ところで、今週のカレッジで「なにわ伝統野菜」の復活に取り組む方のお話しを伺いました。守口大根、田辺大根、天王寺蕪、毛馬胡瓜、勝間南瓜など、昔ながらの歴史ある大阪の野菜を見直そうということで、いま町をあげて取り組んでいらっしゃいました。聞けば、野沢温泉の野沢菜の親は「天王寺蕪」であったとか。講師の方は、なにわの伝統野菜にこだわり、品目の拡大、販路の拡大、消費者との交流と消費拡大、伝統行事と伝統野菜のコラボ拡大をめざしていきたいと熱っぽくお話しになりました。こんなお話しを聞いていると、前段の本に通じる新しい社会の在り方のようなものが垣間見えてきます。平田さんは言います。地域の自立再生には一方的な国の保護政策に依存するのではない「文化の自己決定能力(センス)」が必要だと。納得です。
話は変わりますが、昨日、水彩画教室の帰りに中之島の府立図書館に寄って、ネットで予約していた井上太郎著「ハイドン~106の交響曲を聴く」を借りてきました。先月、京橋のTWIN21で開催されたGROOVIN’主催の中古レコード・CD即売会で、ドラティ指揮、フィルハーモニア・フンガリカによるハイドンのLP交響曲全集の一部(28枚)を手に入れたのです。ハイドンは106もの交響曲を作曲していますが、初期の曲はこれまで聴いたことがありません。ここはじっくり聴いてみようと順番に聴いていくと、なんとなく虜になってしまいました(笑)。そこで、ハイドンが生きた時代、人となり、そして交響曲全曲を解説した本を探したところ、お手頃価格の本はすでに絶版。地元の図書館にもなく、けっきょく大阪府立図書館のお世話になったというわけです。晩秋の夜長、少し贅沢な時間を楽しむことにいたしましょう。
さてさて、師走を迎えてなんとなく気ぜわしくなってきました。ついさきほども忘年会開催のお知らせメールが届いたばかりですが、なんともお気楽なものです。こんな調子で、ボケる暇なしの毎日サンデーを過ごした1年になってしまいそうです(笑)。