心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

シチリア島&南イタリアの旅(その1)

2018-05-02 21:28:04 | 旅行

 4月下旬、「10日間でめぐるシチリア島&南イタリア」のツアーに行ってきました。20年ぶりのイタリア訪問です。関西国際空港からヘルシンキ空港経由でローマに入り、翌日、カゼルタ宮殿を見学のあとナポリへ。夕刻、大型フェリーに乗船してシチリアはパレルモに向かいました。翌朝、パレルモに到着すると旧市街地を散策したあと、古代ギリシャの植民都市・アグリジェントへ。次の日はピアッツァ・アルメリーナに向かい、カサーレの別荘で古代モザイク画を堪能したあと、カルタジローネを経て、シチリア随一の高級リゾート地タオルミーナで連泊。昨年G7が開かれた街です。オプションで、古代に地中海交易の重要港として繁栄を誇ったシラクーザにも足を延ばしました。そして翌日、メッシーナ港から南イタリアに戻り、アルベロベッロへ。次いで岩窟住居サッシが広がる歴史の街マテーラへ。そして翌日はアマルフィを観光する。そんな盛りだくさんのメニューでした。
                 ナポリ・サンタルチア港(遠くにベスビオ火山)
                 シチリア・パレルモ港の日出
                 古代のモザイク画(2千年前に既に女性の水着姿)
                 タオルミーナの街(遠くにエトナ火山)
                                                  アルベロベッロのトゥルッリ群
                 マテーラの岩窟住居              
                 アマルフィーの街
 帰国した今、10日間の「シチリア島&南イタリア」の旅を振り返りながら熟成しているところですが、特に印象に残ったのは、やはりシチリア島です。延々と続く麦畑、オリーブ、ブドウ畑。かつてギリシャの植民都市として栄えた歴史を今に伝える街並みが、私の心に染みついています。

                 アグリジェントのギリシャ神殿
                 タオルミーナのギリシャ劇場跡
 アグリジェントで詳しくガイドをしていただた中野陽子さんは、福岡は博多のご出身で、イタリアに留学後、在住30年。アグリジェントで唯一の日本人シチリア州公認ガイドとして、「るるぶ(南イタリア)」やテレビでも紹介されている方でした。その中野さんから、アグリジェントの丘に立つ樹齢千年を超えるオリーブの木についてお話しを伺いました。3月ならアーモンドの花が咲き乱れる丘、今は一面緑に覆われている丘にはギリシャ神殿が点在し、その向こうには青々とした地中海が広がる。そんな息を呑むような風景でした。18世紀にイタリアを旅したゲーテが、この景色を絶賛し、それを「イタリア紀行」に記しているのだと。
 その「イタリア紀行」を、帰国した翌日、時差ぼけにもめげず、京都みやこめっせで開催中の「春の古書大即売会」に向かい、いろいろ捜しまわったあげく、なんとか岩波文庫(相良守峯訳)を見つけました。1787年4月24日に記載されているアグリジェント(当時ジルジェンティ)の項には、こんなくだりがありました。

「今朝の日の出に見たような美しい春の眺めは、生まれて以来未だ曾て出会ったことがない。(略)宿の窓からは、曾て栄えた町の遠く広いなだらかな傾斜がみえ、それが農園とぶどう山ですっかり蔽われて、その緑の下に、そのむかし人口周密だった市区の痕跡があろうとは思われないほどである。ただこの緑深く、花咲き匂う平原の南端にあたってコンコルディアの寺院が聳え、その東にはジュノー神殿の若干の廃墟が見えるのみである。(略)視線は南へと滑って、なお半里ほど海へ向かって伸びている海辺の平地へと引かれる」

 わたしがアグリジェントを歩いたのは4月23日のこと。そして、かのゲーテがアグリジェントを訪れたのは、二百数十年前の4月24日のことでした。
 もうひとつ印象に残ったのは、なだらかな麦畑が続く広大な平原です。出発前に「ローマ人の物語」の「ハンニバル戦記」で、何万人もの兵士たちが広大な平原で互いに隊列を組んで闘っていたのを興味深く読みましたが、まさに目の前に広がる平原を眺めていると、二千数百年前の戦いの場面が浮かんできそうでした。シチリア島は、イタリア本土とは異なり、アフリカ(カルタゴ)、ビザンチンほか様々な国々との戦場になったところです。
 三つめは、歌劇「ノルマ」や「清教徒」などを作曲したヴィンチェンツォ・ベッリーニが、カターニアの出身だったこと。残念ながらカターニアの町は素通りしてしまいましたが、「ノルマ風天然パスタ」を頂いた際、ベッリーニについて紹介がありました。歴史上の人物という事で言えば、かの科学者アルキメデスが生まれたのは、シラクーザでした。旧市街地を歩いていたら、ふらっとすれ違うのではないかと思うほど身近に感じたものでした。
                                                           カンタジローネ
                 シラクーザ
 ここまで書いたところで、さきほど、昨秋お世話になった出雲の義兄急逝の知らせが入りました。週末、葬祭の儀に参列しますが、やはり淋しさは隠せません。ここ1、2年の間にふたりの姉とふたりの義兄にお別れしたことになります。古き良き時代の風景が、どんどんセピア色に変わっていきます。........そんな次第で、「シチリア島&南イタリアの旅」の続きは後日改めて記すことにいたします。

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