心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

一期一会 ~ 横峰寺から前神寺まで

2019-10-04 21:35:34 | 四国遍路

 今回の「歩き遍路」は車中泊を含めて2泊3日。それも夜行バスでしたから、実質1日半で石鎚山山麓にある60番札所・横峰寺から64番札所・神前寺まで巡ったことになります。早朝6時に伊予西条駅に到着すると、路線バスに乗って横峯登山口まで。少し歩いて参拝マイクロバスに乗って横峯寺駐車場まで一気に上り詰めました。
 バスの中で、関東からやってきたという方としばし言葉を交わします。聞けば、リタイアして一歩踏み出すまでに1カ月半かかったのだそうです。やっと決心がついて、1番札所・霊山寺から「通し」でここまでたどり着いたとか。この日は、西条駅前のホテルに連泊して、あたりの寺々を電車やバスを乗り継いでお参りされているようでした。
 一方の私は、これからが本番とばかり、10キロほど山を下ったところにある61番香園寺をめざしました。下りだからと高をくくっていたのですが、なんのなんの。小刻みにアップダウンが続き、徐々に足腰にダメージをもたらします。
 昔から歩き固められた尾根道からは木々の間から遠くの風景が見えます。昔のお遍路さんは、尾根伝いに歩くことで現在の立ち位置を確認していたんだろうなあと妙に納得したものでした。
 2時間ほど歩いたところで香園寺の奥の院に到着、このあたりからは平坦な田舎道に変わっていきます。道々にある田圃の畦道にはヒガンバナが咲き乱れ、柿の実は少しずつ色づき始めていましたが、この地方特産の柑橘類はまだまだ青く、出荷にはもう少し時間がかかりそうでした。
 香園寺の境内に一歩足を踏み入れると、数年前にお参りしたときの風景が蘇ります。古めかしいお寺ではなく、巨大な鉄筋コンクリートづくりのお寺です。なんとなく違和感を覚えます。
 納経所で、徒歩1分のところに62番宝寿寺の納経所があると案内されました。確か次の宝寿寺は1.4キロ先にあるはずでは.....。門の前でうろうろしていたら、通りすがりの近所のおじさんがやってきて「宝寿寺さんに裁判で負けたんよ。宝寿寺さんが八十八カ所霊場会を脱退したので、霊場会が別途納経所を用意しているんよ。どっちかが紛い物ってとこかな(笑)。あとは知らん」と。
 確かに香園寺の駐車場の一画に霊場会の62番納経所はありました。小さな本堂と大師堂にお参りして、納経をいただきましたが、前回のバスツアーでは宝寿寺さんからいただいたので、私は両方の御朱印をいただいたことになります。でも、気になったので宝寿寺さんにもお参りしました。本堂も大師堂もガランとしてご本尊といわれるものが飾ってあるだけでした。何か事情があるのでしょうが、1200年の歴史を無駄にしてほしくないですねえ。
 この日は、まだ元気だったので63番札所・吉祥寺までお参りして、小松駅にほど近いビジネス旅館小松に入りました。ビジネス旅館とあるので、なんとなく寂しい安宿かと思いきや、3年前に移転・新築されたお遍路さんのお宿でした。部屋もお風呂・トイレもきれいでした。夕食は独り鍋。とんだ勘違いをしていました。一泊2食付き6700円。
 夕食の時間になって食堂に行くと、この日の客は私を入れて4人。真向いにお座りになったのはオランダからやってきた女性でした。聞けばリタイアを契機に特に東南アジアを旅行しているとか。ネパール、チベットなどを回って、日本には7月にやってきたのだと。広島の原爆記念館を見学してその悲惨さに胸を打たれたとのこと。そのあと四国に渡り八十八か所お遍路の旅を続けていらっしゃいます。結願を果たし11月には帰国の予定だとか。
 日本語が全く通じない方でしたが、幸いにも私のお隣にお座りの、自動車でお遍路を続けていらっしゃるご夫婦の奥様が、なんとも流暢な通訳ぶりを発揮されたので助かりました。美味しいビールをいただきながら4人で細やかな宴となった次第。
 私でさえ山の中で迷いそうになる遍路道です。外国の方がどうして一人で歩けるのかと尋ねると、一冊の英語版のガイドブックを見せていただきました。地図、お寺のことがぎっしりと詰まったガイドブックでした。なんと、香園寺と宝寿寺のややこしい関係までも、きちんと英語で紹介されていました。
 そんな彼女は、1200年の歴史を伝える八十八か寺の佇まいと四国の自然と文化に魅了されていらっしゃるご様子でした。だから彼女にとって、香園寺の近代的なお寺には少し首を傾げていらっしゃいました。最後に、サイン入りの納札をいただきお別れしました。
 こんな調子で、今回もいろんな人たちとの出会いがありました。四国の風景と人との出会い。これが私を「歩き遍路」に誘います。次回は11月頃、少し離れた三角寺と雲辺寺に向かいます。


【補足】伊予西条駅でバスの時間待ちをしているとき、列車が到着するたびになにやら聞き慣れたメロディーが流れていました。どうして??。「千の風になって」でした。ネットで調べてみると、この曲を歌ったテノール歌手・秋川雅史さんが西条市のご出身であることが判りました。西条市では、歌にゆかりのあるまちとして、まちづくり活動を行っている由。10年ほど前には、この曲を訳詩、作曲した新井満さんを招いて「講演と朗読と歌唱の夕べ」を開いたのだそうです。親近感を覚えました。

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