さ・む・い ですね。日本海側は大雪だとか。ことしの寒波君、なかなか手ごわそうです。庭先では、サザンカの木に最後のひと花が開き、冬の陽を浴びていました。
ところで今週は木曜日に広島から帰阪して、翌金曜日は午後から4時間にわたって会議が延々と続く1日でしたが、あすの日曜は広島に日帰り出張することになったので、めずらしく土曜休日のブログ更新です。
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そうそう、昨夜は家内を連れて、ヤンネ舘野&舘野泉デュオ・リサイタル「新たなる大樹へ」に行ってきました。場所はイシハラホール。初めて行ったのですが、淀屋橋駅から歩いて8分のところ、堂島川を挟んで向かいには、現在建設が進むフェスティバルホールが聳えておりました。
この日の曲目は、第1部が石田一郎作曲「ヴァイオリン・ソナタ第2番」、平野一郎作曲「精霊の海~小泉八雲の夢に拠る~」、第2部は谷川賢作作曲「スケッチ・オブ・ジャズ2」、そして最後はエーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルト作曲「2つのヴァイオリン、チェロ、左手ピアノのための組曲作品23」でした。
立て続けに現代の日本人作曲家の作品がつづき、家内にとっては少し違う世界を彷徨ったよう。第1部では横に座っている家内がなにやらごそごそしておりました。確かに聴きなれない曲で、いつ終わるのだろう、と思ったりもしましたが、精霊の海は、西洋の楽器ヴァイオリンを使って日本の原風景を表現しようとしているのでしょうか、いつものヴァイオリンとは違うものを感じました。
第2部の曲は、家内も興味津津で聴き入っていました。最後のコルンゴルトの作品は、ときどきCDで聴いているものでしたから、前列2列目の席から舘野さんの左手の動きを追いながら、その音色の確かさのようなものを感動をもって聴いていました。
この日舞台に立たれたのは、にこやかに登場された舘野泉さん、ヴァイオリニストであるご子息のアンネ舘野さん、愛弟子のピアニスト・平原あゆみさん、ヴァイオリンの亀井庸州さんとチェロの多井智紀さんでした。演奏が終わって、アンネ舘野さん曰く「きょうはマニアックな曲を最後までお聴きいただき、ありがとうございました」と。場内には温かい笑い声も。
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私はこれまで、グレン・グールド、マルタ・アルゲリッチといったピアニストの演奏をよく聴いてきました。昨年秋、脳溢血で半身不随の身体になりながらその後左手のピアニストとして舞台に復帰された舘野泉さんの存在を知り、何冊かの著書を読み、CDを聴き、音色の素晴らしさにのめりこんでしまいました。でも、繊細で時に神経質ともとれそうな、しかし常に最高の演奏を追求したグールドとの違いっていったいなんだろう?演奏を聴きながらずっと考えていました。
左手が鍵盤に触れるひとつひとつの音に存在感がある、と言ったら抽象的なのかもしれませんが、ひとつひとつの音に「色」を感じました。.....ふと思い出したのが、著書「左手のコンチェルト」の一節でした。
「北欧には、タペストリーの「隠し色」という技法があります。赤や黄色といった色彩を表面的にはまったく使わずに、直接には目に触れない裏面一杯に、そうした鮮やかな色彩を使うやり方です。その色が表にも反映して、微妙な色彩の影がタペストリー全体に現れてくる。そういう織り方です。・・・「隠し色」とは、その織り手の人生経験がにじみ出ると言っていいかもしれません。生きることの悲しみや苦しみが、まるで「日常の友」のようになってくる。そうしてこそ、はじめて、人生の「隠し色」が出せるようになるのではないでしょうか。」
演奏が終わると、ご子息のアンネさんの肩をやさしくたたきながら、おだやかな表情で他の奏者とともに聴衆に返礼されるお姿に、こちらも心優しくなってしまうような、そんな時間を家内とともに過ごすことができました。喧々諤々の議論が続いた午後の会議が終わると早々に職場をあとにした私の週末の1日、なんだか心の休息をいただいたような、そんな時間をいただくことができました。ありがとうございました。
ところで今週は木曜日に広島から帰阪して、翌金曜日は午後から4時間にわたって会議が延々と続く1日でしたが、あすの日曜は広島に日帰り出張することになったので、めずらしく土曜休日のブログ更新です。
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そうそう、昨夜は家内を連れて、ヤンネ舘野&舘野泉デュオ・リサイタル「新たなる大樹へ」に行ってきました。場所はイシハラホール。初めて行ったのですが、淀屋橋駅から歩いて8分のところ、堂島川を挟んで向かいには、現在建設が進むフェスティバルホールが聳えておりました。
この日の曲目は、第1部が石田一郎作曲「ヴァイオリン・ソナタ第2番」、平野一郎作曲「精霊の海~小泉八雲の夢に拠る~」、第2部は谷川賢作作曲「スケッチ・オブ・ジャズ2」、そして最後はエーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルト作曲「2つのヴァイオリン、チェロ、左手ピアノのための組曲作品23」でした。
立て続けに現代の日本人作曲家の作品がつづき、家内にとっては少し違う世界を彷徨ったよう。第1部では横に座っている家内がなにやらごそごそしておりました。確かに聴きなれない曲で、いつ終わるのだろう、と思ったりもしましたが、精霊の海は、西洋の楽器ヴァイオリンを使って日本の原風景を表現しようとしているのでしょうか、いつものヴァイオリンとは違うものを感じました。
第2部の曲は、家内も興味津津で聴き入っていました。最後のコルンゴルトの作品は、ときどきCDで聴いているものでしたから、前列2列目の席から舘野さんの左手の動きを追いながら、その音色の確かさのようなものを感動をもって聴いていました。
この日舞台に立たれたのは、にこやかに登場された舘野泉さん、ヴァイオリニストであるご子息のアンネ舘野さん、愛弟子のピアニスト・平原あゆみさん、ヴァイオリンの亀井庸州さんとチェロの多井智紀さんでした。演奏が終わって、アンネ舘野さん曰く「きょうはマニアックな曲を最後までお聴きいただき、ありがとうございました」と。場内には温かい笑い声も。
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私はこれまで、グレン・グールド、マルタ・アルゲリッチといったピアニストの演奏をよく聴いてきました。昨年秋、脳溢血で半身不随の身体になりながらその後左手のピアニストとして舞台に復帰された舘野泉さんの存在を知り、何冊かの著書を読み、CDを聴き、音色の素晴らしさにのめりこんでしまいました。でも、繊細で時に神経質ともとれそうな、しかし常に最高の演奏を追求したグールドとの違いっていったいなんだろう?演奏を聴きながらずっと考えていました。
左手が鍵盤に触れるひとつひとつの音に存在感がある、と言ったら抽象的なのかもしれませんが、ひとつひとつの音に「色」を感じました。.....ふと思い出したのが、著書「左手のコンチェルト」の一節でした。
「北欧には、タペストリーの「隠し色」という技法があります。赤や黄色といった色彩を表面的にはまったく使わずに、直接には目に触れない裏面一杯に、そうした鮮やかな色彩を使うやり方です。その色が表にも反映して、微妙な色彩の影がタペストリー全体に現れてくる。そういう織り方です。・・・「隠し色」とは、その織り手の人生経験がにじみ出ると言っていいかもしれません。生きることの悲しみや苦しみが、まるで「日常の友」のようになってくる。そうしてこそ、はじめて、人生の「隠し色」が出せるようになるのではないでしょうか。」
演奏が終わると、ご子息のアンネさんの肩をやさしくたたきながら、おだやかな表情で他の奏者とともに聴衆に返礼されるお姿に、こちらも心優しくなってしまうような、そんな時間を家内とともに過ごすことができました。喧々諤々の議論が続いた午後の会議が終わると早々に職場をあとにした私の週末の1日、なんだか心の休息をいただいたような、そんな時間をいただくことができました。ありがとうございました。
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