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奄美大島で入梅と新聞記事が伝えています。ここ大阪は、前日の雨のなごりで庭の草花に雨露が残りますが、明るい陽の光が眩く輝いています。ブルーベリーもいつの間にか開花の時期を過ぎて、実の形が見えてきました。花壇では、連休中に蒔いておいた花の種が小さな芽を出して、賑やかな花壇に生まれ変わろうとしています。そんな休日の朝、グレゴリオ聖歌のレコードを聴きながらの更新です。
このところ、休日になると読書を楽しんでいます。昨晩は柳田国男の「遠野物語」を読みました。柳田國男のことは、白州正子さんに出会ったNHK講座「知るを楽しむ=わたしのこだわり人物伝」(2-3月期)の後半部分に登場していたので、少し関心がありました。仕事人間としての自分を強制的に切り離すのには、もってこいの楽しい本でした。少し子供っぽい好奇心をもって読みました。改めて講座テキストに目を通してみると、小林秀雄の柳田観が引用されていました。それは、先日ご紹介した小林秀雄の講演録CD「信じることと考えること」の引用です。文学者・柳田國男の晩年の作「故郷70年」から話題を得て、科学の方法と対比させる形で不思議な出来事に対するものの見方と考え方を説いています。
白州正子、小林秀雄、そして柳田國男と、人のつながりを広げながら、日本の思想の原点を探す旅。楽しいですね。小林秀雄の「常識について」を読んでみると、デカルトの「方法論序説」を例に、常識、コモンセンスのなんたるかが記されています。西洋の思想をも学びつつ、より広い視野から日本を考え、自らの生き様を見つめる。いま、もっとも欠けている部分のような気がしています。
ところで、新聞を読んでいたら、NHKの改革案のひとつに多チャンネルの是正、つまりBS、FM、AMについて統合整理をすべきではないかという見解が示されていました。AM放送である第一、第二の2チャンネルを一本にまとめろとでも言うのでしょうか。デジタル社会に疲れアナログの世界に心の安らぎを求める中高年のラジオファンの存在を無視してほしくない。少し腹立たしく思いました。CMという騒音から開放された静かな放送番組の存在は、決して小さくはありません。現役バリバリの世代も、少し時間を見つけては学習の場を求めます。それは、実務に直結するというよりも、もっと掘り下げた、もっと根源的な「人間」の在り方に思いをいたす貴重な時間でもあります。NHKが放送する各種の講座番組に、わたしはこの10数年の間、ずいぶんお世話になっています。西洋哲学史、イタリア史、ルネッサンス、地球学、西田幾多郎、心理学、歎異抄、禅、景観、日本学など様々な視点を学びました。書店に平積みされたビジネス書では得られない、もっと根源的なものの見方と考え方を、これらの講座を通じて学んだ(学びつつある)ような気がしています。NHKだけではありません。短波放送であるラジオNIKKEIにも、いくつか講座があります。田坂広志氏の「風の対話」などはよく聴きます。
教育基本法の改正で文言の是非を政党の面子をかけて議論する前に、もっと手がける課題は多いのです。昨今の惨たらしい事件の多発を促したものはいったい何なのか。ただ単に経営効率優先の価値判断でものごとを解決できる問題ではないように思います。
このところ、休日になると読書を楽しんでいます。昨晩は柳田国男の「遠野物語」を読みました。柳田國男のことは、白州正子さんに出会ったNHK講座「知るを楽しむ=わたしのこだわり人物伝」(2-3月期)の後半部分に登場していたので、少し関心がありました。仕事人間としての自分を強制的に切り離すのには、もってこいの楽しい本でした。少し子供っぽい好奇心をもって読みました。改めて講座テキストに目を通してみると、小林秀雄の柳田観が引用されていました。それは、先日ご紹介した小林秀雄の講演録CD「信じることと考えること」の引用です。文学者・柳田國男の晩年の作「故郷70年」から話題を得て、科学の方法と対比させる形で不思議な出来事に対するものの見方と考え方を説いています。
白州正子、小林秀雄、そして柳田國男と、人のつながりを広げながら、日本の思想の原点を探す旅。楽しいですね。小林秀雄の「常識について」を読んでみると、デカルトの「方法論序説」を例に、常識、コモンセンスのなんたるかが記されています。西洋の思想をも学びつつ、より広い視野から日本を考え、自らの生き様を見つめる。いま、もっとも欠けている部分のような気がしています。
ところで、新聞を読んでいたら、NHKの改革案のひとつに多チャンネルの是正、つまりBS、FM、AMについて統合整理をすべきではないかという見解が示されていました。AM放送である第一、第二の2チャンネルを一本にまとめろとでも言うのでしょうか。デジタル社会に疲れアナログの世界に心の安らぎを求める中高年のラジオファンの存在を無視してほしくない。少し腹立たしく思いました。CMという騒音から開放された静かな放送番組の存在は、決して小さくはありません。現役バリバリの世代も、少し時間を見つけては学習の場を求めます。それは、実務に直結するというよりも、もっと掘り下げた、もっと根源的な「人間」の在り方に思いをいたす貴重な時間でもあります。NHKが放送する各種の講座番組に、わたしはこの10数年の間、ずいぶんお世話になっています。西洋哲学史、イタリア史、ルネッサンス、地球学、西田幾多郎、心理学、歎異抄、禅、景観、日本学など様々な視点を学びました。書店に平積みされたビジネス書では得られない、もっと根源的なものの見方と考え方を、これらの講座を通じて学んだ(学びつつある)ような気がしています。NHKだけではありません。短波放送であるラジオNIKKEIにも、いくつか講座があります。田坂広志氏の「風の対話」などはよく聴きます。
教育基本法の改正で文言の是非を政党の面子をかけて議論する前に、もっと手がける課題は多いのです。昨今の惨たらしい事件の多発を促したものはいったい何なのか。ただ単に経営効率優先の価値判断でものごとを解決できる問題ではないように思います。
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