出雲大社で行われた義兄の葬祭の儀に参列してきました。祭場で頂いた書状には「あなたは、この世に何処からきましたか。あなたは、この世を去れば何処にゆきますか」と記されていました。そして「物事には、始めがあれば必ず終わりがあります。本があれば必ず末があります。大地より生ずる草木は必ず大地に帰ります。霜雪は必ずふたたび水に帰ります。鮭は生まれた川に帰ります」と。斎主からはさまざまな詞が奏上されましたが、ぼんやり理解できたのは、私たちを温かく見守ってくれる神となった故人に日々お祈りをすることの薦め。お祈りすることで故人の神格はますます高まっていくのだと........。
義兄と私は13歳の歳の差があります。まだ姉と結婚していない小学校4年生の頃に出会いました。実兄たちが、私と20歳近い歳の差があって、既に東京や京都にいましたから、田舎で一緒に過ごしたのは義兄の方が長く、私にとっては実兄以上に近しい存在でした。
昨秋久しぶりに帰省した際にも、夜遅くまでお酒を酌み交わし、年末には電話口で元気そうに話していたのに、年初に急に体調を崩し、検査の結果、血液の癌との判定。あっという間のことでした。残念なことでした。
心配なのは姉のこと。初期段階の認知症らしき様子は伺えましたが、夫の急逝で少し進行した様子。祭場の入口でいつも通り気丈に参拝者にご挨拶をしていたのに、葬祭から仕上までの一連の儀式が終わって自宅に戻ると、その日参列いただいた何人かの近しい親戚の方を思い出せない。あれだけお話をしていたのに.....。だだっ広い屋敷でひとり寂しく暮らすことになる姉。別棟に同居する長男一家には毎日できるだけ声をかけてほしいとお願いするしかありません。
今回は出雲大社で葬儀が行われましたが、それが神式であれ仏式であれ、近しい人との別れは辛いものです。でも、そもそも宗教っていったい何でしょう?人を思う気持ちや心に大きな違いはないはずなのに........。
海外を旅行をしていると、街の中心には必ず教会があります。そこに広場ができて人々が集まり、長い年月をかけて都市が形成されていく、そんな歴史を思います。今回のシチリア島&南イタリアの旅行で印象に残ったのは、アマルフィのドゥオーモでした。いただいた日本語のパンフレットによれば、町の守護聖人、聖アンドレアを祭る大聖堂で、創建は6世紀、元々ロマネスク様式だった建物を18世紀に改装したのだと。貴族たちを葬る天国の回廊、聖アンドレアの遺骸を安置する地下礼拝堂など、敬虔な空気が充満した空間が私たちを迎えてくれました。
祭壇に掲げられた十字架上のキリスト、聖アンドレア像、宗教画、ステンドグラスから漏れる光。宗教の違いは別にして、人の心を鎮めてくれます。老若男女が集い、手を合わせます。お寺の本堂に似た空気を感じました。祭壇中央に座す如来さま、菩薩さま、そして曼荼羅画。.....今回の旅行中は他にパレルモの大聖堂、シラクーザのサンタ・ルチア・アッラ・バディア教会など様々な教会を拝見させていただきました。散策している途中、道々にマリア像を祭った小さな祠がありました。それは四国遍路で出会う道端のお地蔵さんのようでもありました。
シチリア島内をバスに乗って移動中、車窓に流れる広大な麦畑や草原を眺めながら、ipodに取り込んだリストのピアノ曲「巡礼の年」を聴いていました。聴き終わって何気なくipodを操作していたら、新井満の「千の風になって」が流れてきました。
「私のお墓の前で 泣かないでください そこに私はいません 眠ってなんかいません 千の風に 千の風になって あの大きな空を 吹きわたっています」。リタイアした直後に出かけた北海道旅行。函館にほど近い大沼国定公園でリハーサル中の新井さんの歌を聴いたのは、1年と10カ月も前のことです。それ以来、私の中で「時間」というものの感覚、スピードがガラリと変わったような気がしています。
その曲をバスの中で何度も聴きながら思ったこと。それは、私の死んだあとのことでした(笑)。おそらく私は、同じところにじっとしていられないだろうなあ。この歌と同じように、お墓の中にはいないだろうなあ、と。昇天と同時に世界中を飛び回っているんじゃないかなあ。空の上からまだ見ぬ様々な国々を飛び回っているんだろうなあ。きっと。だから「私のお墓の前で泣かないでください」。でも、家族たちがお墓参りにやってきたら、タイムスリップしてお墓に舞い戻ってくるんだろうなあと。そんなことを思いながらバスの車窓を流れる景色をぼんやりと眺めていました(笑)。
ここ1、2年の間に、立て続けに近親者を失うと、そのことを自分に置き換えてしまっていけません。まだまだ若いのにねえ。まだまだ知らないことが多すぎます。くたばるわけにはいきません。頑張って楽しく生きていかなければ。
それはそうと、昨日と今日、カレッジの宿泊研修旅行で岡山に行ってきました。旧閑谷学校、大原美術館、備中松山城、吹屋ふるさと村を見て回りました。そんな折、大原美術館の工芸・東洋館横の小径を歩いていて、バナナに似た甘い強い芳香を感じました。あたりを見回すと、どうやら私の背丈ほどの常緑樹に咲く直径3センチほどの白い花から漂っている様子。カラタネ オガタマというのだそうです。中国南部原産のモクレン科の常緑樹です。ちなみに、オガタマの木は招霊(オキタマ)より転じたもので、神前にこの葉枝をそなえ神霊を迎えるため、神社の境内などに植えるものなんだそうです。
なんとも脈絡のない文章になってしまいましたが、旅行疲れということでご勘弁を。疲れついでに、次の日曜日からは予定どおり2泊3日の「歩き遍路」に出かけます。今回は雨の中の歩きになりそうですが、これもひとつの試練かと。頑張って歩くことにいたします。
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コメントをありがとうございます。
5月も半ばだというのに少し肌寒さを感じますが、今朝お散歩がてらに近くのお不動さんにお参りをしてきました。きょうあすは休養日。じっくり身体を休めて「歩き遍路」に備えます。
お天気具合にもよりますが、なんとか28番大日寺まで、できれば29番国分寺あたりまで行ければよいのですが......。
コメントをありがとうございます。
ご主人の大好きだった曲との遭遇。節目節目で不思議な事ってありますよね。誰にでも。それも現実に起こったことで、架空の出来事ではありません。この世の中、科学合理主義だけでは解明できなこともたくさんあるのでしょうよ。大切にしたいですね。
姉の事は心配です。長い間、お花の先生をしていましたが、昨年に辞めて以来、生活のリズムが狂ったのかもしれません。早く新しいリズムを見つけてくれれば良いのですが。私も、時々電話をしようと思っています。
ところで、お孫さんとご一緒に楽しいゴールデンウィークをお過ごしになったようですね。庭木の剪定もたいへんだったよう。ご無理をなさいませんように。
イタリア旅行〜出雲大社〜岡山。
楽しい事、悲しい事、辛い事。
この世の中は、理不尽な事もありますね
いろいろ心配事も。
来週頭は 雨模様。
気をつけて行ってきてください。
くれぐれも ご無理なさらず。
今日の記事は涙になりました。
大切な人とのお別れはとてもとても悲しい事です。
一見元気にふるまっているようでも心の中はいつも涙です。
どんな宗教でも亡くなられた人を見送る気持ちは同じですよね。
千の風が突然に。私も経験しましたよ。
車の中で息子と話をしていた時に。
パパさんの一番大好きな曲がいまだに聴くことが出来ないしCDもかけてあげられないの。
そんな話をしたその時にラジオからその曲が流れてきたんです。びっくりしました。
不思議な事ってありますね。
私も毎日手を合わせるときにお墓にいないで今日も私のところに来てねって言ってます。
お姉様の事もこれから心配ですね。
人は一人では生きて行けないという事ですよね。
これからはみなさんで支え合っていくことになりますね。
祭場で頂いた書状に胸が打たれます。
その通りなんですが....
ran_coffeebreakさんも忙しい日々でしたね。
お疲れが出ませんように。
私はあちこち崩れています。
ちょっと頑張りすぎたのかもしれません。