心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

季節とライフサイクル

2008-08-24 09:37:50 | Weblog
 先日まで暑い暑いと汗を拭っていた夏が、お盆を境に急に影を潜め、ここ数日は肌寒ささえ感じる今日この頃です。小鳥たちの囀りにも心なしか元気が感じられます。一進一退を繰り返しながら、秋らしくなっていくのでしょう。
 先週後半の3日間、広島に出張していました。今回は市内ではなく、東広島から呉を経て広島市内から帰阪するルートでしたが、夜半に到着した東広島では、それは綺麗な星空を望むことができました。今にもお星様が降ってきそうな、そんな錯覚すら覚えました。ふだん、愛犬ゴンタと眺める都会地の星空とは比べものになりません。人通りのない夜の街を、ぶらり散歩をしながら古き良き時代のことを思ったものです。
 ところで、いま、ダニエル・レビンソンの「ライフサイクルの心理学」(講談社学術文庫)という文庫本を読んでいます。「・・・おとなであるとは、どういうことなのか。おとなの人生のもつ根源的な問題---本質的な悩みとか満足感、失望や悲しみや充実感のみなもと---はなにか。児童期や青年期と同じように、成人してからの生活も一定の順序をもって発達しているのか。・・・」。こうした序文で始まるこの本は、ライフサイクルの視点からとらえた成人の基本的な発達原理を考えようというものです。私自身の生き様を振り返るうえで参考になりそうな気がして、先日の出張の際、持ち歩いていました。
 レビンソンは、ライフサイクルという言葉を、「過程または旅」と捉え、一連の時期または段階を「季節」と考えます。季節は、ライフサイクル全体からみれば比較的安定しているけれども、それぞれの季節のなかにも変化は進行していて、季節と季節の間には、ふたつが重なり合う過渡期があるのだと。どの季節が良いとか、どの季節のほうが重要だというようなことはなく、過去と未来を結び、過去と未来の両方を包含しながら有機的に進行していくのだという考え方です。なるほど。
 そう考えると、お盆を境に気候が急変したと言っても、実はその前から徐々に変化の兆候はあった。いやいや、毎日毎日が目に見えなくとも変化しているということ。人間様のライフサイクルも同じ。40歳を過ぎ、50歳を過ぎ、60歳をまじかに見つめる年代になると、その時期時期において過ぎし日と来るべき日が重なり合うような過渡期を経て、新しい境地に歩を進めるのであろうと。決して、終焉(死)に向かってのカウントダウンではなく、自分自身の生き様の集大成なのだろうと。レビンソンは、これを「個性化」と呼んだ。先週の記事の言葉を借りれば、「守・破・離」の「離」を形成していく、そういう意味で次の発達段階に歩みを進めるということだろうと、そんなことを考えました。
 季節の変わり目は、私の心をメランコリックにします。それに火をつけるのが、カナカナと鳴くひぐらしの物悲しい声です。でも、心の風景というものは、考えようで何色にも染まる不思議な世界。さあ、もうひと踏ん張りしましょう。....こう書き進んだところで、目の前には、陽の光が差し込み、木々の緑が輝きだしました。昨夜の大雨が嘘のようです。
 今週は、お盆に京都下賀茂の糺の森で催された納涼古本まつりの写真を掲載しました。
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