先日、広島国際会議場で開催された式典に参加した際、広島勤務になって初めて平和公園を散策しました。夕刻には原爆ドームを通って帰途につきましたが、背筋をぴんと伸ばして歩いている自分に気づきました。戦争と平和、人類はまだ、この大きなテーマに答えを出していません。
さて、きょうは広島の宿舎でお目覚めでした。なので、ブログの更新も宿舎からとなります。とりあえず文字だけをアップしておきます。写真は帰阪後ということで。
先日、脳梗塞になりリハビリに励んでいる親友に手紙を書きました。すると数日後、奥様からお電話をいただきました。と、そのとき、電話の向こうから「おお」という声が聞こえます。それも、なんども「おお」と。私には彼が何を伝えたいのかが良くわかりました。「焦ることはない」「じっくり直すんだ」と言うたびに、電話の向こうから「おお」という返事があります。奥様も喜んでいらっしゃいました。
以前紹介した多田冨雄先生の著書でもわかるように、脳梗塞になっても脳の損傷の状態によって容態はずいぶん違うようです。意識はしっかりしているが、表現できないもどかしさがある。そこにリハビリテーションの意義があります。彼もきっと同じなのだと思います。文字は読める、人の話は理解できる。でも、自分の口で意思を伝えられない。彼には、多田先生が活用されていたトークエイドのことも伝えておきました。回復には時間がかかってもがんばってほしい。そう思います。
そんな電話をうけたあと、私は舘野泉さんの「ひまわりの海」を手にとりました。以前、神保町の古書店で買って、ざあっと目を通して本棚においていたものです。北欧在住の世界的なピアニスト・舘野泉さんも、脳梗塞で身体が不自由になり、数年間リハビリに励まれた。そして、見事に復活され、コンサートをこなしておられる。その闘病生活の模様が第4章「左手のピアニスト」に紹介されています。この本の美しさは、舘野さんの爽やかな文体、そして散りばめられた北欧の風景写真、夏の数ヶ月をすごす別荘の風景。心優しい本に仕上がっています。
ご参考までに、舘野泉さんのピアノ演奏はYouTubeで聴くことができます。
http://www.youtube.com/watch?v=w8FaPBEN8Uk
ところで、先日の会議では、「実行」「断行」といった動的な表現に対して、「ゆとり」という静的なものの考え方の大切さを説く意見がありました。考えてみれば、私たちは、目まぐるしく変わる時代環境にあって、じっとしていられない焦燥感のようなものに背中をおされているときがあります。闇雲に動いていることで何かしら安心してしまう。でも、どうなんでしょうか。ときには少し距離をおいて時代を眺めることも必要ではないか。そんなことを考えさせられた会議でした。
リハビリの成果は、すぐには現れない。毎日の訓練を通じて、徐々に身体に変化が現れる、そんな感じなのではないでしょうか。ピアノの練習をしていて、なんども練習するけれども上手く弾けない、でもある瞬間に滑らかに指が動いていることに気づくことがある、いやありました。結局こういうことなんでしょう。すぐに成果を求めすぎることの危うさを思います。
何を基準に「時間」を計るべきか。いやいや、何を求めて人はあくせく働くのか。原発の事故は、人間の技術力の脆弱性を露呈してしまいましたが、「想定外」などという誤魔化しの表現は使ってほしくない。技術とは何か、人の知恵とはなにか、もっと根源的な問いかけが必要なのだろうと思います。
まあまあ、慌てなさんな。まだ時間はたっぷりとあります。一字一句の意味を考えながら、時代を大きく鳥瞰する力を身につけようではありませんか。
さて、きょうは広島の宿舎でお目覚めでした。なので、ブログの更新も宿舎からとなります。とりあえず文字だけをアップしておきます。写真は帰阪後ということで。
先日、脳梗塞になりリハビリに励んでいる親友に手紙を書きました。すると数日後、奥様からお電話をいただきました。と、そのとき、電話の向こうから「おお」という声が聞こえます。それも、なんども「おお」と。私には彼が何を伝えたいのかが良くわかりました。「焦ることはない」「じっくり直すんだ」と言うたびに、電話の向こうから「おお」という返事があります。奥様も喜んでいらっしゃいました。
以前紹介した多田冨雄先生の著書でもわかるように、脳梗塞になっても脳の損傷の状態によって容態はずいぶん違うようです。意識はしっかりしているが、表現できないもどかしさがある。そこにリハビリテーションの意義があります。彼もきっと同じなのだと思います。文字は読める、人の話は理解できる。でも、自分の口で意思を伝えられない。彼には、多田先生が活用されていたトークエイドのことも伝えておきました。回復には時間がかかってもがんばってほしい。そう思います。
そんな電話をうけたあと、私は舘野泉さんの「ひまわりの海」を手にとりました。以前、神保町の古書店で買って、ざあっと目を通して本棚においていたものです。北欧在住の世界的なピアニスト・舘野泉さんも、脳梗塞で身体が不自由になり、数年間リハビリに励まれた。そして、見事に復活され、コンサートをこなしておられる。その闘病生活の模様が第4章「左手のピアニスト」に紹介されています。この本の美しさは、舘野さんの爽やかな文体、そして散りばめられた北欧の風景写真、夏の数ヶ月をすごす別荘の風景。心優しい本に仕上がっています。
ご参考までに、舘野泉さんのピアノ演奏はYouTubeで聴くことができます。
http://www.youtube.com/watch?v=w8FaPBEN8Uk
ところで、先日の会議では、「実行」「断行」といった動的な表現に対して、「ゆとり」という静的なものの考え方の大切さを説く意見がありました。考えてみれば、私たちは、目まぐるしく変わる時代環境にあって、じっとしていられない焦燥感のようなものに背中をおされているときがあります。闇雲に動いていることで何かしら安心してしまう。でも、どうなんでしょうか。ときには少し距離をおいて時代を眺めることも必要ではないか。そんなことを考えさせられた会議でした。
リハビリの成果は、すぐには現れない。毎日の訓練を通じて、徐々に身体に変化が現れる、そんな感じなのではないでしょうか。ピアノの練習をしていて、なんども練習するけれども上手く弾けない、でもある瞬間に滑らかに指が動いていることに気づくことがある、いやありました。結局こういうことなんでしょう。すぐに成果を求めすぎることの危うさを思います。
何を基準に「時間」を計るべきか。いやいや、何を求めて人はあくせく働くのか。原発の事故は、人間の技術力の脆弱性を露呈してしまいましたが、「想定外」などという誤魔化しの表現は使ってほしくない。技術とは何か、人の知恵とはなにか、もっと根源的な問いかけが必要なのだろうと思います。
まあまあ、慌てなさんな。まだ時間はたっぷりとあります。一字一句の意味を考えながら、時代を大きく鳥瞰する力を身につけようではありませんか。