Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

スコットランドの旅 (14) Culzean Castle

2009-07-16 22:45:10 | スコットランドの旅

昨日ロックローモンドからたどり着いたキャンプサイトで夕方又来いといわれて、その間訪ねたナショナル・トラストのカレーン城(Culzean Castle)を紹介しましょう。キャンプ場から20分ほどにあったこのお城は、私たちが訪れたナショナルトラストの中では一番と思われる素晴らしい城です。
城の門からお城近くの駐車場までの広大な敷地はスコットランド初のカウントリー・パークになっています。

予習ナシで門から見たこの城は息を呑むほどの素晴らしさ、青空の中にかがやいていました。城内は写真禁止の為絵葉書をスキャンしたのが写真4,5,6、です。入った玄関の大広間が武器展示場(写真4)になっていて、此れだけの武器が芸術的に飾られていたのを見たのは、ハンプトンコート依頼でした。各室内に案内人が居ますが、各国語で書かれた案内書があり、日本語もありましたので、このような田舎でも日本人が多いのだろうと思います。写真5の螺旋階段はこの城の中心に当たり、設計者ロバートとジェムス・アダム兄弟(1758-1794)の会心の作といわれています。

写真6のベットルームの壁にかかる絵はナポレオンで、ナポレオンが失墜したすぐ後、イギリスの皇族貴族はこぞってヨーロッパへ出かけ、彼にゆかりのものを買いあさったそうです。それで絵のみならず、ナポレオンの姉妹の像なども展示されていました。

この城はケネディ家(米大統領ケネディ家と全く関係なし)の持城でしたが、1938年3代目侯爵が90歳でなくなる際、ナショナルトラストに寄付するようにとの彼の遺志で、1945年に寄付されたものです。その当時の相続税は49%から74%(1945年)に上がり、税金が払えなかったものでしょう。1945年にアイゼンハワーが訪れ、彼が1969年になくなるまでに4回も訪問滞在しています。この城の一角をアイゼンハワーに生涯の居室として贈呈した為です。

何マイルもの庭園に池や花壇があり鹿の遊ぶ牧場や森の中の散歩道など、その昔の貴族の富は計り知れないものがあります。







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2004年11月28日 Evora & Elves

2009-07-16 00:09:40 | キャンパー旅行記 2004




11月ももう終わりのこの日は朝から冷たい雨が降ってとうとうポルトガルの冬を経験することになった。この10週間で初めて一日中絶え間なく雨に降られた。2週間のんびり楽しんだアーマカウのキャンプサイトから北へ向かった。
Evoraのキャンプサイトしか開いていなかったからだが、このサイトに着いて町の案内図をもらって初めてこの町が、世界遺産に登録されていることを知った。

エヴォラの町は高い城壁に囲まれた比較的平坦な中世の町で、ローマの遺跡が有る。


 

城砦の外から長い立派な水道橋が町の中心に伸びていて、城内の橋の足元には住宅や倉庫が作られていた。これを見るといつもこの水道橋を造ったローマ人が気の毒に思える。


 

町の中心にはローマのテンプルが保存されていて、ここで初めて全員傘をさした日本人団体客を見かけた。こんな田舎までやってくる団体は日本人しか居ないだろう。サスガーだと思った。

 

夕方まであちこち歩き回ったけれど、雨の中で歩き回っても大して楽しいわけではない。クリスマスのデコレーションが雨にぬれて寂しげだ。

 


翌朝は雨がやんだものの雲が低くて、なんとなくもう一度エヴォラの町へ繰り出す気持ちが無くなってスペインへ向かうことにした。スペインまでの街道では通り過ぎるほとんどの町の丘の上に立派な城砦がそびえていた。それぞれの町がいろいろ波乱にとんだ歴史を持っているのであろう。
スペインへの国境近くの町エルヴェス(Elves)で素晴らしい水道橋にめぐり合った。停車して写真を撮り、この町で泊まりたいと思ったがキャンプサイトが無くあきらめてスペイン中央部へ向かった。


 

 

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