クララエ・ガーデン(Crarae Garden)をでて車をグラズゴー方面に向かって南下しましたが、途中に期待していたキャンプサイトがなく、午後4時頃になるとポールがあせりだして、一番近くのサイトを探し出したのがロック・ローモンドのキャンプサイト。ここが4週間のこの旅の中では一番高くて22ポンドでした。ロック・ローモンドの南端の町バロック(Balloch)辺りはクルーズ客の為のホテルやBBが多く湖畔に大きなショッピングブロックがあり、観光案内所も充実していました。ロックに注ぐレーベン河はヨットハーバーのごとく停船でいっぱいでした。夕方ロック・ローモンドの畔を散歩しただけで翌朝早くに南アイシャイヤー県に向かいました。
この日は空が抜けるような青空で週末の始まり、たどり着いたキャンプサイトは、満員で断られましたが、夕方もう一度来ればどこかに押しこめてやるといわれていってみると連れて行かれたのが丘の頂上。電気だけはつなげることが出来ましたが、トイレやシャワー、皿洗い所など500メーターも丘を下りなければならず、夕焼けが薄れてきた丘の上は露が降りこの夏一番の寒さでした。
南アイシャイヤーの海岸線ははるか水平線に丸く座っているようなアイルサ・クレイグの島(写真5)が見えます。この島も海鳥の宝庫ということを帰ってからテレビで知りました。穏やかな海辺を走っていると海岸線に見えた立派なモニュメント、此れは1904年にこの沖で嵐に見舞われ沈没したロシアの船の記念碑なのです。碑の前面に英語とロシア語で書かれています。
グレンルース・アビィ(Glenluce Abbey)はナショナルトラストの管理する崩れ落ちた元僧院。私たちのほかに若い男女の一組しか見学者は居ず、管理人も見えず、フリーで入ってください。と書かれていました。写真9で見られるように元は中庭を持つ大きな僧院ですが、此れだけ崩れ落ちると見物人も来ないのですね。ガーリエストン(Garlieston Campsite)のキャンプサイトは海辺でキャンピングクラブのメンバーのみ、ロックローモンドのキャンプサイトと設備は遜色なく、値段も13ポンドと余りの違いでボーゼンとし大喜びしました。
ポルトガルからスペイン中央山岳地帯を通った。深い山並みは雨雲が覆って数日前の夏に近いような天気が嘘のように思える。マドリッドに後300Kmの盆地の高速道路わきにCamping Restaurantを見つけて一泊した。私たち一台だったが、サイトを開けてくれ、素晴らしい設備で感激した。
翌朝寝坊してしまい、大急ぎで10時頃に出発し高速道路をトレドへ向けて走った。途中の山にさしかかると霧が出てきて、トレド近くから又雨が降り出した。
トレドのキャンプサイトへはお昼過ぎに着いた。トイレ・シャワーがきれいだけど一泊23.36ユーロと安くない。
昼食後雨の中をレインコートと傘をさして、トレドの町へ歩いていった。トレドの町は丘の頂上に城と大聖堂がありその丘をびっしりと中世の町が取り巻いている。その外側を大きな河が抱くように流れているので、河を渡らなければ町へ行くことはできない。
狭い石畳の坂道を登って大聖堂へ行った。この周りが一番の観光地で日本人団体が3組も出たり入ったり雨の中行きかっていた。大聖堂は半分工事修復中で、写真を数枚写したところで写真禁止と言われがっかりして出てきてしまった。
サンタ・クルッズ博物館はたくさんのローマ時代からの壷やスペインがイスラム支配化にあったときのタイルなどが展示されていたけれど、元教会だったらしい博物館の建物が素晴らしかった。
トレドの名産は刃物類といわれ、町のお土産店ならずとも大小の刃物店が上手にナイフや飾りの剣を展示していた。又黒地に金色で模様をつけた金属のお皿はここトレドの名産であるらしい。通りのほとんどがお土産店のようだった。右下の陶器の人形はドン・キホーテとサンチョのコミカル像だった。ドン・キホーテはスペインの一番有名な物語である。