Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

ポルトガルの旅 (14) リスボン その2

2010-11-08 17:19:55 | キャンパーヨーロッパ 2010年

土曜日の夜から日曜日の朝まで何度も激しい雨が降り雷が遠近で鳴り響いていた。朝も出かける頃に雨はやみ、なんとなく暖かい気がする。でも昨日のあの寒さを経験すれば、今日はしっかり暖かくしてゆこうと話し合い、二人ともしっかり防寒具に身を固めてバスに乗った。
街角の電光掲示板では10時半17度と記録していて、エー と驚いたのなんの。昨日とはあまりの違い、この厚い防寒具をどうしたものか。

キャンプサイトからのバスは昨日乗った観光バスの西側行程を通るので、ジェロニモス修道院の前で降りてしまった。この巨大な修道院は16世紀に建設された東棟と19世紀に建てられた西棟でこの東棟から入った回廊は今までいろいろ見てきた回廊のうちで一番豪華な造りだ。まだ朝早かったせいもあり、あまり行列を並ばずに入り、日曜日は午後2時まで入場料が只になる。
この修道院はエンリケ航海王子の偉業をたたえ、バスコダ・ガマの航路開拓を記念して建てられたもので、海外からの富を使ったポルトガルの古きよき時代の遺産である。





この回廊のガーゴイルがいろいろな形の鳥で、これもはじめて見た。





この修道院の向かいの川岸には発見のモニュメントがある。このモニュメントは1960年にエンリコ航海王子の500回忌を記念して建てられたものだそう。カラベラ船を手に先頭に立つ王子の後に宣教師や天文学者,地理学者船乗りなどこの時代に活躍した人たちの象徴の像がきさまれている。




ヨットハーバーをベレンの塔へ向かって歩いていたら、かもめが一羽目の前で水中に突っ込み、大きな魚を引き上げた。たぶんシーバスだと思うが、魚も必死に抵抗し、かもめと必殺の戦いをしていた。水からあがった魚は生きる術がなく、かもめに目をやられて彼の昼食になってしまった。
この日はリスボンマラソンが開かれて、多くのランナーが海岸通を走っていた。道路は2車線のうち一車線をマラソン選手に明け渡し、一車線で上下の交通を賄っていたから、この日黄色の観光バスを見かけることがあまりなかった。





べレンの塔はテージョ河の船の出入りを監視するために16世紀に建てられたものでその美しい姿で、テージョ河の貴婦人と呼ばれているそうだ。中に入ってみると、小さな大砲が各窓際に収まっている。高い塔のうえまで上れるが、あまりの観光客で行列が長くて諦めた。
ジェロニモス修道院の向かい辺りの公園では骨董市が開かれていて覗いてみたが、ガラクタばかりが目に付いた。



下のかわいい市電は観光用に海岸道路を走っているが、土曜日の朝、一番先に目に付いた電車の運転者はサンタクロースだった。なんと粋な人たちだろうとリスボンが好きになった。日曜日のお昼には気温も20度になり、着ていたコートやセーターも脱いでリュックに詰め込んだり、手に持ったりで歩き回った。午後には雨が降り出し、通気性のないレインコートを着ていて蒸れること、暑いこと。

黄色の観光バスが来ないので、ローカルのバスで、国立古美術館を訪れた。2時までは入場料は只だったから、ゆっくり見て周ることが出来た。
一階はほとんどが宗教画で私はあまり興味がないが、たくさんの人が見ていた。二階にポルトガルと交流のあった国々の財宝が飾られていて日本の金泥の南蛮人を描いた屏風が四そうも展示されていた。これは桃山時代の最高傑作といわれているそうだ。
私が気に入ったのはここでは只一枚在ったピーター・ブリューゲルの貧者に施しを与えている人々の絵だった。漫画っぽいが、良くぞこれほど精密に人々の生活や表情を描くものだといつも感心する。





コメント
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