キャンプサイトがラーゴスの町の城砦から200m位のところに在った。このサイトは8年前のキャンプ場ガイドにも、トイレ・シャワーなどの設備に改善すべきと書いてあったそのままで、午後に町を歩き回って一晩だけでよいと思ったサイトだった。
地球の歩き方によれば、この土地は紀元前300年には大西洋、地中海との交易で栄え文化の担い手がイスラム教徒に移った後も、ヨーロッパとアフリカの接点として栄えた。今では国際的リゾート地として成長している。
旧市街は立派な城砦に取り囲まれた狭い通りと教会が2軒、海岸通には椰子の木が並びここがヨーロッパとは思えない。
海辺にどっしりと立つバンディラ要塞は午後2時から開館とあって、周囲を歩き回って時間をつぶした。高台から見える海岸線は波が荒く、カイトサーフィンをしている3人のカラフルなカイトが風に舞っている。
このラーゴスは15世紀に活躍したエンリケ航海王子がこの地を君臨し、死後はサンタ・マリア教会に埋葬されていたこともあり、バンディラ要塞の中は歴史的記述や写真、絵などで満載だった。右下の絵は国立古美術館の三階にある、美術館が誇る作品のひとつで、聖ヴィンセンテの衝立と呼ばれる。聖ヴィンセンテはポルトガルの守護聖人であり、15世紀当時の宮廷王族が全部居並んでいる。エンリケ航海王子もその中の一人。
要塞の中心はとっても小さなサンタ・マリア像の飾られた教会(というより祈りの場)で内部全部がブルーのアズレジョで覆われている。この城砦の上は4隅の小さな塔以外は建造物がないので替わりにこの凝った風車が5台も飾られていた。
右下の写真はサグレス要塞の上空写真で、ここがエンリケ航海王子が航海術を極める学校を開いたところの縁の地である。
旧市街のレププリカ広場にはエンリケ航海王子の像が海を見つめて立っている。これは1960年に没後500年を記念して建てられたもの。団体客がこの像の下で、長い間案内人の説明を聞いていた。
このレププリカ広場の一角には旧奴隷市場が在る。この小さな建物で15世紀ヨーロッパ最初の奴隷市が開かれた。今現在は当時の交易でこの土地に紹介された珍しい食べ物として、赤唐辛子、ココナッツ、種々の木の実、それにサトイモがてんじされていた。サトイモが15世紀からこの地で食されていたのを初めて知った。
左下のサンタ・マリア教会のエンリケ航海王の遺体はその後バターリアへ移されてしまった。教会内はシンプルで派手な装飾が見られない。それとはまったく反対がラーゴス博物館内のサント・アントニオ教会で、あまりの派手さにあっけにとられた。この博物館ならびに教会は写真禁止だったからここに掲載できない。
町は旧市街の狭い通りのほとんどがお土産屋で海岸通の開けた所に魚市場が在った。翌朝この町を去るときにこの魚市場で,鰯やイカ、カワハギなどうれしくなっていろいろ買ってしまった。何しろ魚の鮮度が違う。