Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

ポルトガルの旅 (13) リスボン その1

2010-11-09 18:41:26 | キャンパーヨーロッパ 2010年



12月3日とうとうリスボンのキャンプサイトに着いた。このサイトはモンサント森林公園の一部にあり高速道路のすぐ傍で、このサイトを見つけるまでの苦労は誰にも判って貰えないだろう。カーナビはキャンプサイトを見つけられず、この近くまで連れて行ってくれるが、高速道路の向こうとこちら、同じ地域では役に立たない。

土曜日の朝、サイトの近くのバス乗り場から市内中心部までバス一本で行ける。役45分ほどで、中心地フィゲイラ広場にたどり着いた。さすが首都だけあって見物するものも多く、予定の2日で一体どれほど見られるものか。そこでポルトでも乗ったオープンデッキの黄色の観光バスに2日分のチケット19ユーロを払って乗車。このチケットは2日間の観光バスだけでなく市内を走る黄色の電車とバスにも有効という。観光バスは市内を縦に2分した地域を回る2つのルートからなり、早速西側を回るバスに乗車した。






町はクリスマスのイルミネーションで飾られ、日中は残骸のように垂れ下がっている。この日は一日中重い雲は立ち込め、風は身を切るほど冷たい。オープンデッキではこの寒風から身を守る術がなく、アノラックを通す寒風よけにレインコートもはおり震えながらも写真を取り捲った。右下の写真は、大きな廃屋の壁の落書き(グラフィーテーと呼ぶ)でこれほどの大きな絵になるとまったく芸術だと感心した。




さすがカソリックの国、あちこち教会や修道院が散らばっていて、最近では教会などを美術館や博物館に改修しているところが多い。リスボンは巨大なテージョ河の北岸を占める岡の多い土地で、河には南ポルトガルへ向かう4月25日橋が架かっている。この橋は上は高速道路で下は鉄道になっている。




街角には時間と気温を示す電光掲示板があり、朝11時丘の上では気温2度、丘を降りた5分後には5度だった。皮下脂肪のない亭主には冷気は直接骨までしみこむ様で、おまけに面倒くさいとズボン下を履いてこなかったことをしきりに悔やんでいた。西回り1時間ですっかり冷え切り、一番手じかのデザイン博物館(無料)へ入ってしばらく温まった。ここは一階と三階にドレスのデザインが展示されなかなかすばらしい。残念なことに写真は禁止されカメラはリュックごと預ける羽目になった。二階の道路標示のデザインに、東京の夜の繁華街のネオンサインの大きな写真が展示されていた。そしてまったく外人風に歌っている日本語のポップソングが流れていた。









午後には東側コースを1時間回った。この北東部はエキスポ98が開催された土地で、過去には見捨てられた地域がエイスポによってよみがえった。今現在は国際公園になっている。




一応バスの全行程をこなしぜひ行ってみたいと思ったのが、アズレージョ博物館。又同じ東回りのバスで博物館前でおろしてもらい、2時間近くも堪能した。この博物館は元14世紀の教会を改装して教会内の色タイルならびに国内各地から集められたアズレージョを展示している。内部に光り輝く祭壇が在り、亭主はここが一番気にいったという。この祭壇近く油絵の最後の晩餐を見つけた。このモチーフはミケランジェロばかりではないらしい。
博物館の最上階には1755年に描かれたリスボン全体を描いたパノラマアズレージョがあって、思わず息をのんだ。これは大地震前のリスボンの町並みを描いていて、歴史的にも非常に価値が在るものだという。




ポルトガルには町のあちこちに美味しそうなケーキ屋さんを見かける。入って全部味見してみたいところだが、糖尿初期の亭主には禁忌。おまけに私だってこれらを食べた後の体型を想像するだけで、買い込む勇気がない。今年のサラリーマン川柳の句が目に浮かぶ。 目は一重、あごは二重に,腹は三重 



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