Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

ポルトガルの旅 (11) シントラ(Sintra)その1

2010-11-11 18:06:51 | キャンパーヨーロッパ 2010年




シントラはリスボンから電車で日帰りできる山間の王宮避暑地で、ポルトガルでも指折りの景勝地。前のキャンプサイトで出会ったイギリス人も、すばらしいところだと言っていたし、地球の歩き方にもすばらしいと書いてある。でもどれだけ想像しても本を読んでも、実際自分の足で登りそして時間をかけてみなければ、この感激は誰にもわかってもらえないと思う。
木曜日の朝、天気は上々、キャンプサイトの前からバスに乗って近くの町エストリルのバス停へ行った。そこで10ユーロの一日券を買えば、シントラまでの往復や、シントラ内での観光バスに好きなだけ乗れるという。早速買ってバスで45分のシントラへ向かった。


  

高い山頂にお城が見え、やや低い隣の山頂に城壁が見える。この城壁は、モーロの城砦(Castelo Dos Mouros)(モーロはスペイン、ポルトガル読み。ムーアは英語読み)で7-8世紀にスペイン、ポルトガルに侵略、定住したアラブ系のムーア人は、この山腹に城砦を築き、1147年ポルトガル初代王に落城されるまで,ムーアの文化が花開いた。
バスはシントラの駅前から出発しており、王宮や各地の景勝地で停車し乗り降り自由。大きな観光バスは細い曲がりくねった山道をぐんぐん登ってゆき、城砦への入り口で一時停車する。
城砦は現在廃墟になっているが、城内に精巧な貯水設備を持ち、巨石の上に曲がりくねった城壁はどれほどの労力を費やしたものだろうと感じいった。

  

左下の写真はムーアの城砦よりもっと高いベーナ宮殿から写したもので、次の訪問地のベーナ宮殿は標高529mまでバスで5分、そこから長い坂道を歩いて登る。この宮殿はフェルディナント2世の命によって19世紀半ばに完成したもので、彼のいとこは、ドイツのノイシュヴァンシュタイン城を命じたルートヴィッヒ2世にあたる。そういわれればどちらの城にも共通なムーアの影響を受けたエキゾチックな様相はさもありなんと思わせる。いとこ同士で名城建設を競っていたらしい。

  



 


赤と黄色の塔に正門の壁や城壁は青の模様タイルで覆われ、装飾の美しさは又格別。宮殿内部は写真禁止の為ここに掲載できないが、こじんまりした居間や寝室などもムーアの影響を受けたカラフルな装飾や色タイルが一面でため息が出る。


 



 

又この宮殿から見おろす景色は格別、遠く大西洋が見え,眼下にシントラの町や王宮、レガレイヤ宮殿が森の間に見える。リスボンの町は晴天の下白く輝いている。

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