Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

キャンプ旅行 ザラゴーザ (Zalagoza)

2012-05-15 16:27:34 | キャンプ旅行 2011-2012



キャンプサイトからザラゴーザの町の中心まではバス一本で行ける。約30分ほどで町のバス停に降り立ったが地図も案内書も無くてスペイン語もあまりわからない。
二人でめくらめっぽう歩いたところで、アートギャラリーの前に着いた。亭主が受付で聞くと町の地図をくれて、観光案内所の場所を教えてくれた。







プエルタ・デル・カルメンがこの町の旧市街の門に当たる。そしてここが町の中心部らしい。この門から北へ20分ほど歩くとサンティアゴ教会についた。中ではお祈りの真っ最中。邪魔にならないようにそっと写真を撮り急いで出てきたが、ここの天井は、イタリアヤ、ポーランドのカソリックの教会と違って華やかな色彩は一切ないが、素晴らしい装飾だった。



あたり一面道路工事の真っ最中でその真ん中に巨大な市場の建物があった。この市場は1903年建築のセントラルマーケットで13世紀からこの地はマーケットがたっていたと言う。中は野菜や肉や、果物など食料品の小売店がずらっと並んで賑わっていた。
目に付いたのがこの柿、スペインでもKakiと書いてあったので驚いた。もしかして柿は外国からの名前だったのかも。





このマーケットの裏はローマ時代の遺跡が在って、ローマ皇帝オウガスタスの像が立っていた。オウガスタスはジュリアス・シーザーの甥に当たり、シーザーが殺されたあとの遺言で皇帝になったもの。まだ18歳だった当時幼名オクタビウスからオウガスタスに改名、彼は相当長生きし、彼の時代にローマは非常に栄えた。
BC14年、12月23日、オウガスタス帝の54歳の誕生日を祝ってこの町にシーザーオウガスタの名前が贈られたと言うからすごい。オウガスタスの像はヨーロッパの植民地(コロニアル)のいたるところで発見されているが、若い頃のハンサムな像しか発見されない。当時は写真や肖像画が無かったから、銅像を各地に送って皇帝を知らしめたものだと言う




ザラゴーザがこんなに華やかな歴史と遺跡を持っているなんて全然知らなかったし期待もしないで行ったので、旧市街の観光名所と言うべきバシリカ・デル・ピラー(ピラー大聖堂)のカラフルな屋根や尖塔や巨大な聖堂内部を見て全く驚きあきれ、大感激。内部は撮影禁止のため残念、あの素晴らしさを残しておけない。



この大聖堂の並びにゴヤの銅像がありやっぱりスペインで一番有名な画家なのかしら。それとも彼はこの地方の出身かしらとも思ったりした。






この広場の突き当たりの高い尖塔を持つラ・セオ・大聖堂は14世紀のゴシックスタイルでやっぱり内部は撮影禁止、2001年ユネスコに登録された。建物の外壁がムーアのデコレーションで、内部もアラブの影響があるかと思って入ったのだが、それは無くて、なんと奥の2,3階に展示されているタペストリーがすごい。
高さ2から4メーター、幅3から8メータ位の15,6世紀のタペストリーがずらっと飾られている。それも63枚も!!!この色彩と精巧さ、何十年もかかって仕上げたであろう一枚、一枚の芸術性も言葉に尽くせない。この地を訪れる機会があったらぜひお勧め。

 

この大聖堂の前にシーサーアウガスタ・フォーラム博物館があり、地下室がその名のとおりローマの遺跡群でここは町の中心広場だった。
1803年から1805年に直径38センチの銅管が26メータも発見され、これらはこの町へ水を引いていたために使われていたという。銅管に製作年が刻まれている。



ここから歩いて10分ほど行ったところに、あるのがローマンシアター(劇場)屋根でおおわれて保護されているが外から見える。ここは1972年に発見され、1998年から2002年で発掘、博物館が建設された。



バシリカの後ろはエブロ河が流れ、そこに立派なローマの橋がかかっている。案内書にはこの橋は非常に古いと書いてあるが、紀元は書かれていないので一体何年に建設されたか誰にもわかっていないのだろう。



ここから見るバシリカの夜景が写真になっていた。それにしてもどこにも絵葉書など売っていない。大体午後の2時を過ぎるとシアスタでお店が全部閉まってしまう。



ムーアの文化漂う塔

コメント
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