Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

キャンプ旅行 カセーレス (Caseres)

2012-05-05 09:24:11 | キャンプ旅行 2011-2012

カセーレスは人口9万人の小都市、旧市街は1986年世界遺産に登録された。ローマ時代にここは植民地として村が築かれその名もノルベンシス・シザリナと呼ばれた。
スペインはローマ帝国の初期に征服され、植民地としてあらゆる町村がローマ人によって開発、発足している。このスペインからローマの皇帝が2人も出ているのを知れば、この国がローマと同化していたことがよく判る。ローマ人は征服した土地を隷属化せず、退役した軍人たちに土地を与え、地元の女性と婚姻させ帝国の拡大、平定を計った。

  



バスで町の中心地に着いたところが、アヴェダ・デ・エスパーナ、この素晴らしいメーンロードにはすっかり感服してしまった。一方通行の3車線道路が両脇に、その間にこの幅広の歩道が真ん中の公園(遊園地や、音楽台)をはさんでいて椰子の木や南国の木々が茂って、夏には涼しい環境を作っている。この晴天の今日は気温12度、木陰は寒くて早足で通り過ぎた。

  

ローマ帝国の崩壊で、数世紀の間捨て置かれた村はムーア人(モーロ人)の侵略台頭で現在にも残る城砦や塔が築かれ華やかな文化が花開いた。アルハンブラやコルドバのような観光地ではないが、昔をしのんで歩くには最適の町だ。
旧市街の入り口に当たるところのサン・ホアン教会は、玄関口に異様な三角帽子をかむった覆面の僧侶の像が立っていて特に目についた。中はお祈りの最中で、週日のお昼間でも教会で祈る人たちがいる。

  

メーヨー広場には観光案内所があり旧市街の地図をもらった。まずは階段を上った所にあるブヘコ・タワー、塔の内部にはこの町の歴史が書かれた一室があり、ローマからムーアそしてムーアがキリスト教徒によって滅ぼされ、中世の騎士の町になったことを記してある。塔の上から見る町は旧市街の連なる教会やタワーなど中世の建築物が目白押し、眼下には新市街のテラコッタの屋根が遠くの平野まで連なっている。

15,6世紀スペインの海外進出の盛んな頃に、アメリカや中南米からの金銀宝石などで潤った金持ち達はマンションや宮殿に住み、彼らの家紋は100以上を数えると言う。

  

カセーレス博物館はモスリム宮殿の水道(シスターンと呼ぶ)の上に建てられた16世紀の建物で、中にはローマの遺物から現代の地方の服装、生活用品まで展示してあり、その地下室で、シスターンを見ることが出来る。シスターンで一番印象深いのはイスタンブールのアヤソフィアの近くにあるもので、ローマ人建設のすごいものがある。イスタンブールに行く機会のある方にはそこは必見。

  

4月21-23日にはこの町の宗教祭展が開かれ、この異様な服装のグループがキリスト像を神輿のように担いでメーヨ広場を練り歩く。5月の3日間は世界の音楽祭が開かれる。

  

サンタ・マリア大聖堂は祭壇が15世紀の木製彫刻されたもので、イタリアやポーランド、フランスのカソリック大聖堂とは違って、華やかさきらびやかさが無いが落ち着いたよい雰囲気。床は古い墓石からなり、墓石の上を歩いていると思うとあまり気持ちよいものではないが、この様な感じ方をするのも宗教によって異なるだろう。  

  

見残したところが多いので又行かねばならぬと思いながらメーヨー広場に戻ってきたら、朝には覆いが被さっていた銅像たちが太陽の下に曝されていた。
これらはパリのロダン美術館からの借り出し物で、無料で展示されているが、周りに警備人が二人居た。。英国ならもっと厳重警備をしなきゃならない。と言うのはもう10年ほど前、ヘンリー・モアの製作した何トンかの銅像が盗まれた。溶かして売り払うらしい。銅が高騰しているとかで金のためなら、芸術作品を残すことを考えない人がいるのは嘆かわしい。
  
  

コメント
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