その日は丁度休みでした。
前日も病院へ会いに行きたかったのですが、
私も歳です、、、。
仕事の後はヘロヘロで
どうせ明日は休みだし、と行きませんでした。
そして翌日の休みの日、、、。
朝に義妹から血圧が88に下がった、
個室に移されたと連絡がありました。
88ならまだ大丈夫かな?と思いながらも急いで家を出ました。
酸素は外せなくても一時期は呼吸が幾分か落ち着いていましたが、
この時は息遣いも激しく1mlだった酸素が4mlになっていました。
それでも酸素飽和度は88でした。
手を握り声を掛けますが、指先は冷たく今までと違い全く反応してくれませんでした。
看護師さんの話では昨日までは反応していたそうです。
手だけは弱々しくですが握り返してくれました。
きっと私の声は聞こえていたと思います。
いったん自宅に戻り昼食を摂って再び病院に戻りました。
丁度弟1夫婦も来ていました。
血圧は56にまで下がっていました。
私は覚悟を決めました。
話しかければ手は握り返してくれます。
きっとこの時もずっと私達3人の話を聞いくれてたのでしょう。
そして夕方、夕飯を食べにと先に弟1夫婦が一度自宅へ帰りました。
私はまだ少し残ってから帰ると言い、
その後はずっと父の手を握っていました。
認知症になってからの父は
いつも家人の誰かに怒っていましたので
怒らせないように殆ど会うことはありませんでした。
しかし、何故かこの時は父との良い思い出ばかりが蘇って来ました。
「お父さん、好きだった歌を歌ってあげようか。
私は演歌は歌えないから
お父さんの好きなグレン・ミラーのムーンライト・セレナーデと
サザンのいとしのエリー歌ってあげるね。」
私が口ずさんでいる間、弱々しかった父の手が私の手を強く握り返していました。
まるで父もリズムをとっているかのように、、、。
指先も体温が戻っていました。
そして私もいったん家に帰り、
その後は弟1夫婦と面会が終わる20時まで病院にいました。
施設に入っている母が、食べが悪くリハビリ病院へ転院しなければならないと
義妹と話ていました。
「たんぱく質を沢山取って筋肉付けたいよね。
私の作るだし巻き卵、好きだから作ってあげようかな」
私がそう話していると
急に父の額の眉間にシワが、、、。
私の手を強く握り返します。
そう、父も私の作るだし巻き卵が大好きでした。
「あ!ごめんごめん、お父さんにも作ってあげるからね」
3人で賑やかに笑いました。
そんなやりとりをして、
帰る頃、夜勤の看護師さんが血圧を測ると115まで上がっていました。
酸素飽和度も93に上がっていました。
「お父さん、私達がいるから少し元気が出たかな」
最後の奇跡だったと思います。
翌日の朝6時、仕事へ行く支度をしていると義妹から電話が、、、。
「呼吸が荒くなったのですぐに来てくださいって」
後は顔を洗うばかりでいた私はそのまますぐに家を出ました。
10分も掛からず着いたでしょうか
病室のそこには呼吸が止まったばかりのまだ温かい父が眠っていました。
「お父さん、頑張ったね。」
手を握った時、夜勤の看護師さんが入って来ました。
「娘さんが来てくれましたよー」
涙を堪えながら「ありがとうございました」と言う私に
看護師さんも泣いていました。
こういうシーン、看護師さんはなれているはずなのにね、、、。
暫くして、同じ様に仕事に出掛ける所だった弟1が駆けつけてきました。
カーテンの向こう側では白々しく夜が明けてきました。
夜勤のドクターがやってきて
お決まりのセリフで死亡宣告されました。
春一番が吹いたこの日、父は風になりました。
Glenn Miller Orchestra - Moonlight Serenade
前日も病院へ会いに行きたかったのですが、
私も歳です、、、。
仕事の後はヘロヘロで
どうせ明日は休みだし、と行きませんでした。
そして翌日の休みの日、、、。
朝に義妹から血圧が88に下がった、
個室に移されたと連絡がありました。
88ならまだ大丈夫かな?と思いながらも急いで家を出ました。
酸素は外せなくても一時期は呼吸が幾分か落ち着いていましたが、
この時は息遣いも激しく1mlだった酸素が4mlになっていました。
それでも酸素飽和度は88でした。
手を握り声を掛けますが、指先は冷たく今までと違い全く反応してくれませんでした。
看護師さんの話では昨日までは反応していたそうです。
手だけは弱々しくですが握り返してくれました。
きっと私の声は聞こえていたと思います。
いったん自宅に戻り昼食を摂って再び病院に戻りました。
丁度弟1夫婦も来ていました。
血圧は56にまで下がっていました。
私は覚悟を決めました。
話しかければ手は握り返してくれます。
きっとこの時もずっと私達3人の話を聞いくれてたのでしょう。
そして夕方、夕飯を食べにと先に弟1夫婦が一度自宅へ帰りました。
私はまだ少し残ってから帰ると言い、
その後はずっと父の手を握っていました。
認知症になってからの父は
いつも家人の誰かに怒っていましたので
怒らせないように殆ど会うことはありませんでした。
しかし、何故かこの時は父との良い思い出ばかりが蘇って来ました。
「お父さん、好きだった歌を歌ってあげようか。
私は演歌は歌えないから
お父さんの好きなグレン・ミラーのムーンライト・セレナーデと
サザンのいとしのエリー歌ってあげるね。」
私が口ずさんでいる間、弱々しかった父の手が私の手を強く握り返していました。
まるで父もリズムをとっているかのように、、、。
指先も体温が戻っていました。
そして私もいったん家に帰り、
その後は弟1夫婦と面会が終わる20時まで病院にいました。
施設に入っている母が、食べが悪くリハビリ病院へ転院しなければならないと
義妹と話ていました。
「たんぱく質を沢山取って筋肉付けたいよね。
私の作るだし巻き卵、好きだから作ってあげようかな」
私がそう話していると
急に父の額の眉間にシワが、、、。
私の手を強く握り返します。
そう、父も私の作るだし巻き卵が大好きでした。
「あ!ごめんごめん、お父さんにも作ってあげるからね」
3人で賑やかに笑いました。
そんなやりとりをして、
帰る頃、夜勤の看護師さんが血圧を測ると115まで上がっていました。
酸素飽和度も93に上がっていました。
「お父さん、私達がいるから少し元気が出たかな」
最後の奇跡だったと思います。
翌日の朝6時、仕事へ行く支度をしていると義妹から電話が、、、。
「呼吸が荒くなったのですぐに来てくださいって」
後は顔を洗うばかりでいた私はそのまますぐに家を出ました。
10分も掛からず着いたでしょうか
病室のそこには呼吸が止まったばかりのまだ温かい父が眠っていました。
「お父さん、頑張ったね。」
手を握った時、夜勤の看護師さんが入って来ました。
「娘さんが来てくれましたよー」
涙を堪えながら「ありがとうございました」と言う私に
看護師さんも泣いていました。
こういうシーン、看護師さんはなれているはずなのにね、、、。
暫くして、同じ様に仕事に出掛ける所だった弟1が駆けつけてきました。
カーテンの向こう側では白々しく夜が明けてきました。
夜勤のドクターがやってきて
お決まりのセリフで死亡宣告されました。
春一番が吹いたこの日、父は風になりました。
Glenn Miller Orchestra - Moonlight Serenade