父の四十九日が滞りなく終わりました。
ひと月の審判の後、これで父はあの世へ渡りました。
朝の11時から法要が始まり、
気が付いたら午後9時頃まで話していました。
こんな風に兄弟達で話が出来るのは
こんな行事の時だけでしょうね。
四十九日は兄弟家族達と叔父夫婦のみのこじんまりした法事でした。
食事会は偶然にも子供の頃に住んでいた家の近く、
この時期柄、そこだけが一室空いていました。
築80年の古民家で、中庭が見渡せる個室。
この辺は道路も家も殆ど無く、小川が流れいつもメダカを取り
素足になって遊んで居た思い出場所。
父の計らいだったのかな〜、、、。
話す会話が将来の日本や世界情勢、政治経済の話で盛り上がっていると、ご住職からは
「こんな高度な話で華が咲くのは余り見ないね〜」と
でも、父と家で皆で話をする時は
これが普通だった我が家。
生前、父は良く昔の自慢話をしていました。
「昔、初めてねずみ取り(スピード違反取締機)を作ったのは僕だよ。」
「中村区の大鳥居の上を越す位ポールを投げられたんだよ」
年老いた父しか知らない義妹もその話を聞かされていて、
いつも「おねぇちゃん、それって本当〜?」と
野球で高校へ進学した甥っ子は
「昔の、軟式の様なボールしか無かった時代にそんなこと無理だ
俺でも出来ん。」と
私も父から聞いていましたが、真実なのかは私も実際見たわけでもなく、、、。
この日、義妹は父の弟にあたる叔父に
その事実の確認を、、、
叔父は真顔で
「昔はね〜、あの近所に住んでいて、あの25m程ある鳥居を超えてキャッチボールをしていたよ。
兄貴はラジオもカラーテレビも自分で作っていたね。
警察に頼まれてね〜、取締のスピード速度計を作ったよ。」
と、具体的な装置の仕組みまで詳しく、、、。
義妹はびっくり、、、。
私は笑いながら
「こりゃ家に帰ったらお父さんに仏壇の前で謝らなきゃね〜
」
横で聞いていた弟達は、、、。
「やっぱり超えられないな、、、。」としみじみ、、、。
彼ら達はきっとこれからも超えられない父の背中を追いかけながら歳を取って行くのでしょうね。
そして、、、。
息子達を育てて行くのでしょうね。
自分の背中を見せながら、、、
お父さん、生前良く弟達に言ってましたね。
「お前達は俺の足元にも及ばん。」
お父さんに似て負けず嫌いの彼らは
その言葉を忘れないと思いますよ。
どうか、これからはあの世から叱咤して見守ってやって下さい。
父の最後の趣味はパソコンでの作曲でした。
70歳からの趣味です。
歌手の卵に曲を作ったりして先生と呼ばれたり、、、。
父は著作権協会にも登録していた程です。
なんでも始めるとプロ級まで目指す人。
「葬式にはこのCDを流してくれ。」
自分の歌と作曲したCD
その遺言通り、葬儀には父の歌を流しました。
後に叔父にも父のCDを渡しましたが、
昔、、、。
まだ若かった祖母は舞台で歌を歌っていたそうです。
現代の人は知らない人も多いと思いますが
田端義夫の前座でも歌った事があるそうです。
確か、、、。
父から祖母のレコードを見せて貰った事もありました。
もちろん、祖母は独身と偽って舞台に立っていたそうです。
そんな話を子供の頃に父から聞いていたんですが、
これも私は信じがたく、、、
改めて、叔父から聞いて、、、。
祖母に謝らなくては、、、
好きな事を突き詰めて来た人、
祖母の戒名にご住職が
「お母さんはどんな方でしたか?」
父は、
「好きな事をして来た人です」
今回父の時も同じ事を、、、。
勿論、ご住職は生前の父を存知ています。
この日も「お父さんは本当に楽しい人だったね〜」
弟達は、、、。
一生懸命働いて、
一生懸命遊ぶでしょうね、、、。
私は、、、。
その夜、夢を見ました。
真っ白な部屋に真っ白な大きなテーブルがあり、
いく枚かの大きな紙が、黒い墨で描かれた文字や記号があります。
その横に二列に椅子に、
20人程の人達が並んで座っています。
そこに米米の浪漫飛行のイントロが流れ出し、、、、。
その座っている人達が歌いだしました。
ふと見ると空いた椅子が1つ。
そこが自分の席だと自然と感じ、、、。
座った所で目が覚めました。
何なんでしょうね〜。
お父さんが「楽しんでこい」と言ったのでしょうか、、、。
ふと目が覚めて、、、。
人生、楽しく生きなきゃね
終わりを迎えるその日まで、、、
さようなら、お父さん。
10年程前の弟1と姪っ子の写真を撮る父