最近、ロバート・デ・ニーロが出演する映画が好きだ、という人と
知り合いになった。
僕も好きな俳優ではあるが、それほど積極的に彼の出演作品は
見ているわけではなかった。
しかし、僕には生涯で強烈に好きな洋画が1本あるのだが、
奇しくもその主演が、デ・ニーロだった。
以前からその映画についてこのブログで語りたかったのだが、
なかなか上手くその映画を自分の言葉にできなかった。
しかし、これも何かの縁なのかもしれない。
いい機会なので、今日はその映画について、書く。
「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」
1984年・アメリカ作品。
舞台は1920年代のニューヨーク。
貧しいユダヤ系移民のヌードルス(ロバート・デ・ニーロ)と
その仲間達は、禁酒法の網をかいくぐるように、少年時代から
様々な犯罪に手を染めながら、ニューヨーク・ギャングとして
のし上がってゆく。
僕がどうして、この映画が強烈に好きなのか?
その理由は、これが“男の映画”だからである。
男なら、この映画は絶対に見るべきだ。
男が持つべき様々なモノが、この映画にはすべてつまっていると
言っても過言ではない。
印象的なシーンはいくつもあるが、
特に忘れられないシーンが、僕にはある。
主人公のヌードルスには、幼少の頃から憧れの女性がいた。
それは、友人の妹のデボラという女性だった。
大人になり、ニューヨーク・ギャングとして成功し、
何もかも手に入れたヌードルスだったが、
映画女優を夢見る彼女の心だけは、どうやっても手に入れることが
出来なかった。
ある日、ヌードルスはデボラを食事に誘う。
場所は海辺の高級レストラン。しかも貸し切りだ。オーケストラが
2人ために音楽を奏でる。
2人の間を緩やかにそして優雅に流れる曲は「アマポーラ」。
デボラは、本格的な女優になるためにハリウッドに向かうことを、
ヌードルスに告白する。
食事後、ヌードルスは自分の運転手付きの高級車でデボラを送る。
そしてデボラがヌードルスに別れを告げ、車から降りようとした時・・・
ヌードルスはデボラの腕をやおら掴み、そして後部座席でデボラを・・・
レイプした。
必死に抵抗するデボラ。
しかし力強く押し倒したヌードルスに、結局、犯されてしまった。。。
泣きながらボロボロになって家路につくデボラ。
その姿を、車に寄りかかり、緩んだネクタイをいじりながら呆然と見送るヌードルス。
僕はこのシーンに心を鷲掴みにされ、目頭が熱くなり、そして、不覚にも涙した。
後にも先にも、レイプシーンで泣いたのは、この映画1本だけだ。
きっと女性にはひっくり返っても分からないと思う。
理解できないと思う。
そして、そうでないといけないとも、思う。
しかし、男にはこの時のヌードルスの心情が分かると思う。
いや、分かって欲しい。
今生の別れという場面で、最愛の女性に対して自分の気持ちを
レイプという行為でしか伝えることができなかった、
男の心情、儚さ、情けなさ、弱さ、意気地のなさ・・・。
そして、あまりにも大切だからこそ、デリケートに接してきたのに、
自らのエゴであっけなく壊してしまった、人間の愚かで醜い“業”・・・
そういったものがデボラを見送るヌードルスの背中には、すべて表われていた。
もちろん、男でも理解できない人もいると思う。
「どんな理由であっても、女性をレイプする男は最低だ」と。
正論だ。正しい。その通りだ。
だけどそんな男とは、僕はきっと友達にはなれないような気がする(笑)
このブログを読まれている男性諸兄で、まだ見たことがない方は
ぜひご覧になって欲しい。
今から25年前、四半世紀も前の映画だが、今でも十分に見応えがある。
バックに流れる音楽も秀逸だ。
知り合いになった。
僕も好きな俳優ではあるが、それほど積極的に彼の出演作品は
見ているわけではなかった。
しかし、僕には生涯で強烈に好きな洋画が1本あるのだが、
奇しくもその主演が、デ・ニーロだった。
以前からその映画についてこのブログで語りたかったのだが、
なかなか上手くその映画を自分の言葉にできなかった。
しかし、これも何かの縁なのかもしれない。
いい機会なので、今日はその映画について、書く。
「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」
1984年・アメリカ作品。
舞台は1920年代のニューヨーク。
貧しいユダヤ系移民のヌードルス(ロバート・デ・ニーロ)と
その仲間達は、禁酒法の網をかいくぐるように、少年時代から
様々な犯罪に手を染めながら、ニューヨーク・ギャングとして
のし上がってゆく。
僕がどうして、この映画が強烈に好きなのか?
その理由は、これが“男の映画”だからである。
男なら、この映画は絶対に見るべきだ。
男が持つべき様々なモノが、この映画にはすべてつまっていると
言っても過言ではない。
印象的なシーンはいくつもあるが、
特に忘れられないシーンが、僕にはある。
主人公のヌードルスには、幼少の頃から憧れの女性がいた。
それは、友人の妹のデボラという女性だった。
大人になり、ニューヨーク・ギャングとして成功し、
何もかも手に入れたヌードルスだったが、
映画女優を夢見る彼女の心だけは、どうやっても手に入れることが
出来なかった。
ある日、ヌードルスはデボラを食事に誘う。
場所は海辺の高級レストラン。しかも貸し切りだ。オーケストラが
2人ために音楽を奏でる。
2人の間を緩やかにそして優雅に流れる曲は「アマポーラ」。
デボラは、本格的な女優になるためにハリウッドに向かうことを、
ヌードルスに告白する。
食事後、ヌードルスは自分の運転手付きの高級車でデボラを送る。
そしてデボラがヌードルスに別れを告げ、車から降りようとした時・・・
ヌードルスはデボラの腕をやおら掴み、そして後部座席でデボラを・・・
レイプした。
必死に抵抗するデボラ。
しかし力強く押し倒したヌードルスに、結局、犯されてしまった。。。
泣きながらボロボロになって家路につくデボラ。
その姿を、車に寄りかかり、緩んだネクタイをいじりながら呆然と見送るヌードルス。
僕はこのシーンに心を鷲掴みにされ、目頭が熱くなり、そして、不覚にも涙した。
後にも先にも、レイプシーンで泣いたのは、この映画1本だけだ。
きっと女性にはひっくり返っても分からないと思う。
理解できないと思う。
そして、そうでないといけないとも、思う。
しかし、男にはこの時のヌードルスの心情が分かると思う。
いや、分かって欲しい。
今生の別れという場面で、最愛の女性に対して自分の気持ちを
レイプという行為でしか伝えることができなかった、
男の心情、儚さ、情けなさ、弱さ、意気地のなさ・・・。
そして、あまりにも大切だからこそ、デリケートに接してきたのに、
自らのエゴであっけなく壊してしまった、人間の愚かで醜い“業”・・・
そういったものがデボラを見送るヌードルスの背中には、すべて表われていた。
もちろん、男でも理解できない人もいると思う。
「どんな理由であっても、女性をレイプする男は最低だ」と。
正論だ。正しい。その通りだ。
だけどそんな男とは、僕はきっと友達にはなれないような気がする(笑)
このブログを読まれている男性諸兄で、まだ見たことがない方は
ぜひご覧になって欲しい。
今から25年前、四半世紀も前の映画だが、今でも十分に見応えがある。
バックに流れる音楽も秀逸だ。
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