高校新学習指導要領案が発表され、その中で特に英語の強化が目立った。
“基本的に英語の授業は英語で行う”という方針も盛り込まれた。
確かに英語上達には、英語で授業をするのが一番いいかもしれないが、
高校1年生の英語能力で何処まで理解できるのかは疑問である。
そもそも中学での英語の授業からいきなり英語を聞き分けて理解することを求めても、
到底不可能のような気がする。
それに現在の高校の英語の授業は、本来の英語ではなく、
大学受験のための英語になっている部分も多いように思われる。
それに英語が嫌いな生徒に英語で授業をしたらますます英語嫌いが加速するだけだ。
それ以前に、今の高校の英語教諭に英語だけで授業の出来る能力があるのかどうかも疑問だ。
この方針が実施されたら、英会話教室に通う高校教師が増えるかもしれない。
或いはこの方針がもう少し早く発表されていたら、NOVAも潰れずに済んだかもしれない。
英語を話したい、英語を身につけたいと思っている人は案外多いと思う。
しかし高校の英語の授業で英語能力が上がるとは思えない。
“好きこそものの上手なれ”という諺もあるが、
英語の授業を英語でやったから英語能力が向上するというのは短絡的で、
その前に英語を好きにする努力をしなければならないと思う。
個人的な思い出を掘り返せば、
高校時代は英語が苦手で、全く授業を聴いていなかったし、居眠りばかりしていた。
勿論、英語の予習復習なんて全くやる気もなかった。
それでも好きな洋楽の英語の歌詞カードが手に入ると、
辞書を片手に一生懸命訳そうと努力した。
イーグルスの“Hotel California”やウイングスの“Getting Closer”など、夢中で訳したものだった。
英語圏特有の風習や表現方法が全く理解できていないので、
かなり頓珍漢な訳になっていたが、それでも自分なりに理解できて嬉しかった。
本来の英語教育は英語の本質の楽しさを教えていくことをスタートにしなければならないと思う。
大人たちの机上の理論を子供たちに押しつけたところで、
この国の国際化に貢献するとはとても思えないのである。
高校新学習指導要領案 英語で授業、期待と不安 能力アップ 教師も負担(産経新聞) - goo ニュース
“基本的に英語の授業は英語で行う”という方針も盛り込まれた。
確かに英語上達には、英語で授業をするのが一番いいかもしれないが、
高校1年生の英語能力で何処まで理解できるのかは疑問である。
そもそも中学での英語の授業からいきなり英語を聞き分けて理解することを求めても、
到底不可能のような気がする。
それに現在の高校の英語の授業は、本来の英語ではなく、
大学受験のための英語になっている部分も多いように思われる。
それに英語が嫌いな生徒に英語で授業をしたらますます英語嫌いが加速するだけだ。
それ以前に、今の高校の英語教諭に英語だけで授業の出来る能力があるのかどうかも疑問だ。
この方針が実施されたら、英会話教室に通う高校教師が増えるかもしれない。
或いはこの方針がもう少し早く発表されていたら、NOVAも潰れずに済んだかもしれない。
英語を話したい、英語を身につけたいと思っている人は案外多いと思う。
しかし高校の英語の授業で英語能力が上がるとは思えない。
“好きこそものの上手なれ”という諺もあるが、
英語の授業を英語でやったから英語能力が向上するというのは短絡的で、
その前に英語を好きにする努力をしなければならないと思う。
個人的な思い出を掘り返せば、
高校時代は英語が苦手で、全く授業を聴いていなかったし、居眠りばかりしていた。
勿論、英語の予習復習なんて全くやる気もなかった。
それでも好きな洋楽の英語の歌詞カードが手に入ると、
辞書を片手に一生懸命訳そうと努力した。
イーグルスの“Hotel California”やウイングスの“Getting Closer”など、夢中で訳したものだった。
英語圏特有の風習や表現方法が全く理解できていないので、
かなり頓珍漢な訳になっていたが、それでも自分なりに理解できて嬉しかった。
本来の英語教育は英語の本質の楽しさを教えていくことをスタートにしなければならないと思う。
大人たちの机上の理論を子供たちに押しつけたところで、
この国の国際化に貢献するとはとても思えないのである。
高校新学習指導要領案 英語で授業、期待と不安 能力アップ 教師も負担(産経新聞) - goo ニュース