林檎乃「とほほ・・・。」ブログ

林檎乃麗の「とほほ・・・。」な日常を綴っています。 

「嘘」

2009-06-05 | 日記
「嘘」と云っても中条きよしの話ではない(歳がばれる~)。

人間は「嘘つきばかりだ」とか、「嘘つきは信用出来ない」、
或いは「嘘も方便」とか、「嘘から出た誠」など、
ことわざにも「嘘」に拘わることが多い。
しかし「嘘」をつくためには、その元になる「事実」がなければならない。
本当の「事実」があって、初めて「嘘」がつけるのである。

たとえば「UFOを見た」とか「宇宙人を見た」とか、嘘をつくとする。
しかしそこにはある「事実」が存在する。
勿論、“UFO”が実在するとか、“宇宙人”が地球に襲来したことがあると云っているわけではない。
しかし“UFO”とか“宇宙人”という共通の概念は既に存在する。
それはそれまでSF映画やテレビの特撮もの、漫画やアニメで多くが語られ、
実在するかどうかは別として、そこには“UFO”とか“宇宙人”といった、
共通の概念が既に存在するのは、紛れもない「事実」である。
逆にそういった共通の概念を全く“無”から想像することは難しい。
それは既に神の領域と云ってもいいかもしれない。

古来からの伝承や神話には、実在すると容認するには突拍子もないことが多い。
しかし古代の人々が、今とは違ってマスコミなどの情報源を持たず、
日々の生活や仲間からの情報だけで“UFOとか“宇宙人”といった概念を想像するのは至難の業だ。
そこにはそういった想像をするためのヒントになった「事実」が必ず存在する筈である。
一部の、或いは多くの歴史学者がそういった古来からの伝承や神話は取るに足らないとして、
記録に残る史実を歴史の根拠に求めたがる。
しかし記録が常に正しいかどうかは分からない。
それは正しい情報が持たされているかどうかという問題もあるし、
それ以上に今のようなマスコミが存在しない社会で、
権力者が自分に不利になる記録を許すかという問題もある。
戦時中の戦況放送を考えれば想像がつくだろう。
そういった伝承や神話にこそ、真実を探るためのヒントが隠されてる筈である。

古来から伝わる伝承や神話を「嘘」と片付けることは容易い。
しかしそこには必ず「嘘」をつくための「事実」があり、
それを探し当てることが真実に近づくための一歩である筈である。
その「事実」を探るために、“歴史学”の範疇を超え、
社会学や天文学、地質学など、あらゆる角度からの科学的アプローチが必要である。

ところで、おいらも“UFO”を目撃したことがある。
近所のスーパーの焼きそば売り場にそれは確かに存在していた。
これは紛れもない「事実」である。
コメント (4)
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