病院の帰りに千葉で昼食を喰うことになり、
千葉そごう10階の「とん亭」でランチ御膳1,260円を喰った。
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あまり考えないで頼んだが、貝のフライが乗っていて一瞬ドキッとした。
おいらは牡蠣が苦手なのである。
しかし喰ってみて牡蠣ではなく帆立だと分かって安心した。
貝の中でも帆立だけは好きなのである。
ここはご飯と味噌汁がおかわり自由なので、思わず両方ともおかわりしてしまった。
・・・しかしさすがに喰い過ぎた。
このまま家に帰っても昼寝してしまうだけだと思い、少し腹ごなしに散歩することにした。
現在の千葉駅はホームが扇形に配置されていて、
1番線2番線は当駅止まりの緩行線用であるが、
真ん中には外房線、内房線のホーム、奥には総武本線、成田線のホームがある。
そして駅前ロータリーを挟むように外房線と総武本線が左右に伸びている。
しかしこれは戦後になって造られた線形で、
戦前の千葉駅は東千葉駅近くの千葉市民会館の近くにあったという。
そこで鉄道遺跡がないか確かめるために直接行ってみた。
そこにははっきりとした旧千葉駅の跡があった。
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写真の写りが良くなくて分かりづらいかも知れないが、
「ここに千葉駅ありき 千葉鉄道管理局長 浅井武」と書かれている。
これ以上はっきりとした証拠はないくらいだ。
この碑は千葉市民会館の隣の駐車場に建っているのだが、
その駐車場の石垣の一部も古いもので、もしかしたら当時の千葉駅のものかも知れない。
さらにこのあと総武本線の下をくぐって千葉公園まで行ってみた。
この千葉公園は旧鉄道連隊の敷地である。
ここにもなにか遺構が残っていないか探してみることにした。
探すまでもなく、公園の入り口にはちゃんと案内板が出ていた。
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ここには以下のように書かれている。
鉄道第一連隊演習所跡
旧陸軍鉄道連隊が明治41年(1908)、旧千葉町都賀村(現 椿森)と津田沼町に設置され、
大正7年(1918)の改編により千葉町に鉄道第一連隊、津田沼町に鉄道第二連隊が設置された。
鉄道第一連隊演習所は、現在の千葉公園の綿打池付近から競輪場一帯で、
池の対岸に架橋演習に使用したコンクリート製の橋脚や、
ここから北西約150mのところにトンネル工事演習に使用したコンクリート製のドームがあり、
昔日の面影を残している。
そこで池で遊ぶ水鳥にも美しく咲いた蓮の花にも目をくれず、
この二つの遺構を探すことにした。
ひとつめの架橋演習用のコンクリート製の橋脚はすぐに見つかった。
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しかしもう一つのコンクリート製のトンネルドームがいくら探しても分からなかった。
公園内を約1時間半かけて探し回ったが、結局見つけることが出来なかった。
しかしその代わり、公園内でタンク式のSLを見つけることが出来た。
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千葉公園にSLが飾ってあるという話は今まで聞いたことがなかった。
日本全国を旅して静態保存のSLの写真を撮ってきたが、
実はこんな身近なところにも保存機はあるのである。
プレートには「NUS5」と書かれている。
近くにある説明書きには以下のように書かれていた。
この蒸気機関車は、C型タンク飽和蒸気機関車といいます。
神戸市の川崎車輌(現 川崎重工)で製造され、
昭和36年10月から昭和44年4月まで
川崎製鉄千葉製鉄所(現 JFEスチール)において
資材や原材料の運搬に使用されました。
やがてディーゼル機関発達に伴い、
蒸気機関車は使用されなくなり、
千葉市に寄贈されたものです。
今まで考えもしなかったが、まだ蒸気機関車しかない時代には、
当然構内の入れ換え用の車両も蒸気機関車ということになる。
本務機だけがクローズアップされているが、
こういう見えないところで活躍してきた車両もいるのだ。
改めて鉄道の世界の奥深さに気付かされた。
今回は病院の帰りでコンパクトデジカメしか持っていなかったが、
また今度一眼レフを担いで改めて取材に来たいと思った。
千葉そごう10階の「とん亭」でランチ御膳1,260円を喰った。
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あまり考えないで頼んだが、貝のフライが乗っていて一瞬ドキッとした。
おいらは牡蠣が苦手なのである。
しかし喰ってみて牡蠣ではなく帆立だと分かって安心した。
貝の中でも帆立だけは好きなのである。
ここはご飯と味噌汁がおかわり自由なので、思わず両方ともおかわりしてしまった。
・・・しかしさすがに喰い過ぎた。
このまま家に帰っても昼寝してしまうだけだと思い、少し腹ごなしに散歩することにした。
現在の千葉駅はホームが扇形に配置されていて、
1番線2番線は当駅止まりの緩行線用であるが、
真ん中には外房線、内房線のホーム、奥には総武本線、成田線のホームがある。
そして駅前ロータリーを挟むように外房線と総武本線が左右に伸びている。
しかしこれは戦後になって造られた線形で、
戦前の千葉駅は東千葉駅近くの千葉市民会館の近くにあったという。
そこで鉄道遺跡がないか確かめるために直接行ってみた。
そこにははっきりとした旧千葉駅の跡があった。
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写真の写りが良くなくて分かりづらいかも知れないが、
「ここに千葉駅ありき 千葉鉄道管理局長 浅井武」と書かれている。
これ以上はっきりとした証拠はないくらいだ。
この碑は千葉市民会館の隣の駐車場に建っているのだが、
その駐車場の石垣の一部も古いもので、もしかしたら当時の千葉駅のものかも知れない。
さらにこのあと総武本線の下をくぐって千葉公園まで行ってみた。
この千葉公園は旧鉄道連隊の敷地である。
ここにもなにか遺構が残っていないか探してみることにした。
探すまでもなく、公園の入り口にはちゃんと案内板が出ていた。
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ここには以下のように書かれている。
鉄道第一連隊演習所跡
旧陸軍鉄道連隊が明治41年(1908)、旧千葉町都賀村(現 椿森)と津田沼町に設置され、
大正7年(1918)の改編により千葉町に鉄道第一連隊、津田沼町に鉄道第二連隊が設置された。
鉄道第一連隊演習所は、現在の千葉公園の綿打池付近から競輪場一帯で、
池の対岸に架橋演習に使用したコンクリート製の橋脚や、
ここから北西約150mのところにトンネル工事演習に使用したコンクリート製のドームがあり、
昔日の面影を残している。
そこで池で遊ぶ水鳥にも美しく咲いた蓮の花にも目をくれず、
この二つの遺構を探すことにした。
ひとつめの架橋演習用のコンクリート製の橋脚はすぐに見つかった。
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しかしもう一つのコンクリート製のトンネルドームがいくら探しても分からなかった。
公園内を約1時間半かけて探し回ったが、結局見つけることが出来なかった。
しかしその代わり、公園内でタンク式のSLを見つけることが出来た。
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千葉公園にSLが飾ってあるという話は今まで聞いたことがなかった。
日本全国を旅して静態保存のSLの写真を撮ってきたが、
実はこんな身近なところにも保存機はあるのである。
プレートには「NUS5」と書かれている。
近くにある説明書きには以下のように書かれていた。
この蒸気機関車は、C型タンク飽和蒸気機関車といいます。
神戸市の川崎車輌(現 川崎重工)で製造され、
昭和36年10月から昭和44年4月まで
川崎製鉄千葉製鉄所(現 JFEスチール)において
資材や原材料の運搬に使用されました。
やがてディーゼル機関発達に伴い、
蒸気機関車は使用されなくなり、
千葉市に寄贈されたものです。
今まで考えもしなかったが、まだ蒸気機関車しかない時代には、
当然構内の入れ換え用の車両も蒸気機関車ということになる。
本務機だけがクローズアップされているが、
こういう見えないところで活躍してきた車両もいるのだ。
改めて鉄道の世界の奥深さに気付かされた。
今回は病院の帰りでコンパクトデジカメしか持っていなかったが、
また今度一眼レフを担いで改めて取材に来たいと思った。