18.東急東横線綱島と大倉山の駅取材
西小山で駅取材後、今度は東横線の駅取材に入っていく。
目黒線と東横線は田園都市から日吉までは複々線で並行している。
日吉から先は東横線は横浜まで行き、
地下に入ってみなとみらい線で元町・中華街まで繋がっている。
一方、目黒線は日吉までだったが、
相鉄との相互直通のため新横浜まで新横浜線が新設され、
目黒線の列車が直通することになった。
日吉から横浜までの区間はJR横浜線の取材時に、
接続する菊名のみ取材済みで、他の6駅は未取材である。
そこで日吉から横浜に向かって駅取材していく。
先ずは日吉の隣の網島まで行く。
綱島駅は相対式2面2線の高架ホームを有する東横線の駅である。
1番線は下り横浜方面、2番線は上り渋谷方面が使用する。
画像は西口で、高架下に駅機能を集約している。
開業は1926年2月14日で、開業時の駅名は「綱島温泉」だった。
相対式2面2線の地上ホームとして開業したが、
1933年7月に島式ホームに変更されている。
戦時中の1944年10月20日に「網島」に改称された。
開業時はこの地を温泉街として発展させることを目的に開業したが、
戦況悪化に伴い、贅沢を禁止する風潮に伴い“温泉”が外された。
1963年11月26日に高架化された。
網島16:06発で隣の大倉山に行く。
大倉山駅は相対式2面2線の高架ホームを有する東横線の駅である。
1番線は下り横浜方面、2番線は上り渋谷方面が使用する。
傾斜地にホームが設置されているため、渋谷方は地上とほぼ同じ高さで、
改札のある横浜方は高架下に大倉山エルム通りが通っている。
大倉山に駅が出来たのは、1926年2月14日に、
東京横浜電鉄が神奈川線の路線名で、
丸子多摩川(現・多摩川)から神奈川(現・廃止)の区間を、
開通させたのと同時に開業した。
開業時の駅名は「太尾」だったが、
1932年3月31日に「大倉山」に改称された。
かつては構内踏切が設置されていたが、
1936年6月に地下道が設置された。
1980年代、大倉山から新横浜まで路線を敷設し、
相模鉄道が新横浜から二俣川まで路線を敷設し、
相互直通する計画があった。
しかバブル崩壊などによりこの計画は頓挫した。
その後、東急が日吉から新横浜、
相鉄が新横浜から西谷まで敷設する計画に変更され、
2023年3月18日に開通している。
駅所在地は神奈川県横浜市港北区大倉山一丁目だが、
開業時の地名は「太尾町」で、駅名もそれに合わせてた。
近接する実業家の大倉邦彦が「大倉精神文化研究所」が設置され、
のちに横浜市に売却されて「横浜市大倉山記念館」となった。
駅名もこの「大倉山精神文化研究所」に合わせて変更されたが、
2009年11月に住居表示が変更されて、この付近が大倉山となった。