林檎乃「とほほ・・・。」ブログ

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 青春の旅立ち-2024年夏東海道本線全駅取材の旅12.

2025-03-05 | 鉄道・旅行

 12.東海道本線東刈谷と西岡崎の駅取材

野田新町では通過する貨物列車を撮影することが出来た。
牽引機はEF210形314号機だった。

EF210形はJR貨物が平坦路線向けに開発した直流電気機関車である。
電気方式は直流1,500Vで基本番台はGTO素子式VVVFインバータ制御方式で、
主電動機はかご形三相誘導電動機、FMT-4形×6基の1C2M方式である。
軸配置はB-B-Bで、最高速度は110km/hである。
100番台は整流素子をIGBTを変更し、1C1M方式に変更された。
そして撮影した300番台は瀬野八補助機関車EF67形の後続機として、
補助機関車としての機能を追加しているが、専用機ではなく、
汎用型としてその他の線区でも使用も考慮して設計されている。
「ECO-POWER 桃太郎」の愛称が付けられている。
試作機は1996年3月に901の1両が製造され、
基本番台は18両、100番台は173両、
そして300番台は2000年3月から現在も量産中である。

駅舎撮影から戻ったら、同じ線路に再び貨物列車が通過し、
この列車の牽引機はEF210形113号機だった。

野田新町はこの規模ながら無人駅で、
青春18きっぷなどの切符での入出場はインターホンで呼び出し、
別の場所にいる担当者がカメラで切符を確認しし、
自動改札の電源を切って通過出来るようにしてくれる。
09:44で隣の東刈谷に行く。

JR東刈谷駅は相対式2面2線の地上ホームを有する東海道本線の駅である。
1番線は上り方面、2番線は下り方面が使用する。
画像は南口で、橋上駅舎化されている。

東刈谷に駅が出来たのは1966年12月24日で、
駅建設費用のうち、刈谷市が7250万円、
安城市が500万円を負担した請願駅である。
駅用地も刈谷市が提供した。
最初に駅設置運動を起こしたのは1923年頃の依佐美村(よさみむら)で、
のちに幸田町、岡崎市と「国鉄三駅設置期成同盟」を結成して運動が再開、
1958年には期成同盟から離れて刈谷市が単独で誘致運動を推し進め、
安城市の協力を取り付け、1966年に開業に至った。
駅名は最初に運動を起こした由縁から「依佐美駅」を要望していたが、
最終的に東刈谷駅で落ち着いた。
「国鉄三駅設置期成同盟」の幸田町は三ヶ根、
岡崎市は西岡崎としての地に運動に成功している。

東刈谷で駅取材し、09:59岡崎行きで2つ先の安城に行こうと思ったが、
安城では11:15a.m.に開店する「北京・昭和町店」で昼食を喰うことにしていて、
少し早めに到着してしまうため、先に安城の更に隣の西岡崎に行く。

JR西岡崎駅は相対式2面2線の地上ホームを有する東海道本線の駅である。
1番線は下り方面、2番線は上り方面が使用する。
画像は南口で、橋上駅舎化されている。

西岡崎駅が出来たのは1988年3月13日で、
駅建設費用は岡崎市と地元住民と岡崎市が負担した請願駅である。
岡崎市は1956年に刈谷市、幸田町と、
「国鉄三駅設置期成同盟」を結成して誘致した。
しかし実際に誘致に成功したのは1988年である。
同じく駅誘致を目論んだ刈谷市は東刈谷駅、
幸田町は三ケ根駅として誘致に成功している。


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