11.名古屋鉄道刈谷駅と東海道本線と野田新町の駅取材
逢妻を08:58発の岡崎行きで隣の刈谷に行く。
刈谷駅は名古屋鉄道と共同使用駅となっており、
北側はJR東海道本線の駅舎となっているが、
南側は名鉄の駅舎となっている。
しかし駅名表示はなく、名鉄インというホテルが前面に出ている。
名古屋鉄道刈谷駅は島式1面2線の地上ホームを有する有する三河線の駅である。
1番線は下り知立方面、2番線は上り碧南方面が使用する。
橋上駅舎化され、画像は南口である。
JR東海道本線とホームが並んでおり、
南北自由通路上に改札があり、東海道本線と改札が並んでいる。
名古屋鉄道三河線は猿投から碧南を結ぶ39.8kmの路線だが、
名古屋本線知立を境に猿投方面が山線、碧南方面が海線と通称される。
かつては山線は猿投から西中金、海線は碧南から吉良吉田まで線路が延びていたが、
閑散区間のため2004年4月1日に廃止された。
三河線は1912年5月30日に設立された三河鉄道によって敷設された。
1914年2月5日には刈谷新から大浜港(現・碧南)までの区間を敷設した。
この時、起点として刈谷新の駅名で同時に開業した。
1915年10月28日には刈谷新から知立まで延伸、
1920年7月5日には知立から山線の土橋まで延伸、
同年8月31日には上挙母まで延伸、11月1日には挙母(現・豊田市)まで延伸、
1922年1月17日には越戸まで延伸、
1924年10月31日には猿投まで延伸、山線の現開業区間が開業した。
その後も山線は西中金まで、海線は三河吉田(現・吉良吉田)まで延伸した。
1941年6月1日には名古屋鉄道が三河鉄道を合併、
西中金から吉良吉田、現在の蒲郡線である区間を含めて三河線となった。
1914年2月5日に開業した刈谷新は1923年2月に移設、
1927年11月10日に省電(現・JR東海)の刈谷駅に統合、
共同使用駅となったが、1989年1月25日に南北自由通路が開通、
橋上駅舎として南北自由通路上に改札が設置される。
名鉄は切符がないので入場せず、
そのままJR東海道本線の改札を入場する。
ここで09:20の新快速を緩急接続で停車していた09:22豊橋行きに乗り込む。
これで隣の野田新町に行く。
JR野田新町駅は相対式2面2線の地上ホームを有する東海道本線の駅である。
1番線は下り方面、2番線は上り方面が使用する。
画像は北口で、橋上駅舎化されている。
野田新町の駅が出来たのは2007年3月18日で、
刈谷市が全額負担した請願駅である。
誘致活動は1989年頃から行われており、
2003年3月にJR東海との間で駅設置の合意が締結された。
計画当時は“刈谷新駅”の仮称で呼ばれていたが、
駅所在地の愛知県刈谷市野田新町一丁目から野田新町と決定された。