ipodにたまりに溜まっていた写真のデータを、外部へと移動した。
このブログにあげてある写真もその中からのもので、私の記憶の一部でもある。
ほぼ写真とは、個人的記録、人生のエピソードを補強する記憶媒体であり、何に心を動かされたかの軌跡でもある。
その中でもとりわけ異質で、考え方によっては重要視されるものに、人生の節目である七五三や入学式、成人式、結婚式などに撮る写真がある。
これこそもっとも個人的な写真で、かつそれに掛ける費用と労力は飛び抜けているだろう。
それらの写真を日常的に見られるように飾る人もいるけれど、撮ってから仕舞いっ放しにしてみない人もいる。
ちなみに私は後者だ。
それならば必要ないのではないか?と思うけれども、年齢を重ねてきた今となっては、撮っておいたほうがいいと思える。
時間は戻れなく、ごく僅かな人にとってしか意味を持たない写真だけれど、だからこそその時々の大切な節目をそれなりに身なりを整えて写す写真は価値のあるものではないか。
フォトスタジオで大枚をはたかなくて工夫して撮るもよし、もちろん大勢専門スタッフに囲まれて気持ちよく撮るのもいいだろう。
今は、卒業から入学と区切りをつけて新しいステージに参加する節目の時、期待と同じくらいの不安を抱えた自分を、記録しておくものいいものだ。
自分の生きてきた足跡を、写真を通して振り返る素晴らしい素材となるのだから。
どんな経験も、自分の生きてきた証で、愛おしめるようになりたい希望もある。
このブログにあげてある写真もその中からのもので、私の記憶の一部でもある。
ほぼ写真とは、個人的記録、人生のエピソードを補強する記憶媒体であり、何に心を動かされたかの軌跡でもある。
その中でもとりわけ異質で、考え方によっては重要視されるものに、人生の節目である七五三や入学式、成人式、結婚式などに撮る写真がある。
これこそもっとも個人的な写真で、かつそれに掛ける費用と労力は飛び抜けているだろう。
それらの写真を日常的に見られるように飾る人もいるけれど、撮ってから仕舞いっ放しにしてみない人もいる。
ちなみに私は後者だ。
それならば必要ないのではないか?と思うけれども、年齢を重ねてきた今となっては、撮っておいたほうがいいと思える。
時間は戻れなく、ごく僅かな人にとってしか意味を持たない写真だけれど、だからこそその時々の大切な節目をそれなりに身なりを整えて写す写真は価値のあるものではないか。
フォトスタジオで大枚をはたかなくて工夫して撮るもよし、もちろん大勢専門スタッフに囲まれて気持ちよく撮るのもいいだろう。
今は、卒業から入学と区切りをつけて新しいステージに参加する節目の時、期待と同じくらいの不安を抱えた自分を、記録しておくものいいものだ。
自分の生きてきた足跡を、写真を通して振り返る素晴らしい素材となるのだから。
どんな経験も、自分の生きてきた証で、愛おしめるようになりたい希望もある。