毎度のごとく不親切、視覚に訴える画像がない。
もう食べちゃったからね。
地域で付き合いのある方から、つまり生産者さんより三つ葉を頂いた。
多分スーパーで買えばそこそこのお値段がするはずで、自分で買ったことがないから皆目見当が付かない。
その三つ葉を、贅沢にも一袋分を二人分の澄まし汁に使いきってしまう。
三つ葉の香りが立ち上る、澄まし汁は絶品だ。
しかも今日はシメジも加わって、さらに味に奥行きが出ていた。
三つ葉は2cmくらいに切り、それを卵で閉じて、しょうゆ仕立ての澄まし汁として頂くのだ。
もうそれだけで満足度が、爆上がり。
後は炊き立ての白飯と、佃煮やふりかけで十分におなかも心も満たされた。
この澄まし汁があるときは、かえってその方が味を邪魔しないということもあるけれど、我が家の家計が厳しいのが4割、加齢で消化に負担がかかるものを受け付けにくくなった3割というのがホントの内訳だ。
けれども、様々な人の好意によって頂ける三つ葉やレンコンだけでなく、家人が丹精こめて育てているブルーベリーにラズベリー、一枚田でとれるお米など、実に豊かな恵みに囲まれている。
存在の土台となる大地を直に感じながら、自分の味覚を喜ばせ、血肉となり、心も満たす。
概ね世間一般の判断からすると、いわゆる貧乏、低所得という立ち居地ではあるが、生き物としての贅沢を得ている。
貧者の負け惜しみと捉えられなくもないけれど、何を持って自分の生き方、幸せ、満足を決めるかの価値観によるだろう。
しかし、それにしても物価の上昇と社会制度の変更には、ほとほと打撃を受けている。
自分のできるまじめな労働をして得ている収入では、望まないダイエット生活、医療機関を受診するのに二の足を踏むことが、加速していく。
もう人生半分以上いった世代の諦めは、まだ仕方がないにしても、未来をたくさん持っている若い人たちの絶望感は、ほぼ病的な域に達していそうだ。
こんな悲しいことはない。
若い人たちの自助努力を当てにするのはお門違いで、もう自分は引退して余生をなどと思っている人生の諸先輩たちが率先して未来を良くする行動を起こさないと、この国は、世界はデストピアと化してしまう。
だから、非力な自分ではあるけれど、生きるに値する世界になるように、手の届くところから働きかけをしていこう。
もっとも、既に挫けそうになっているくらい、力不足を実感しているのであった。