rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

憧れる冒険家

2017-08-17 22:23:36 | 随想たち
なりたいものが2つある。
一番目は画家で、二番目は冒険家だ。
とりあえず一番目の画家は、自称でよければすでになっている。
けれども二番目の冒険家は、全くなされていなく、子供のときにこれはすでに断念したといってもよい。
自分はいろいろと面倒な女という生物で、何よりものすごく臆病だ。
冒険家たる者、好奇心旺盛、勇猛果敢に未踏の地へ向かわなくてどうする。
どこでも寝られ、なんでも食し、平気で排泄を行い、あらゆる危険生物に対処でき、抜群の体力を備えていなくては、冒険する資格が無いだろう。
子供のころの憧れ金高かおるさんのように、世界中を飛び回るには、越えなければならない壁がいくつもそそり立っていた。
また、諸知識に加え語学も堪能で、経済的バックアップも不可欠だと、子供ながらにも感じていた。
今、私の冒険家心をくすぐり満たしてくれているものに、「クレイジージャーニー」というテレビ番組がある。
昨夜はその特別番組が放送されて、心躍らせながら見ていた。
扱う内容にかなりディープなものもあるので、ほぼ深夜枠なのだけれど、安全な場所で冒険心を満たすには、とてもありがたい番組だ。
そして、数々の冒険を提供してくださる方々に感謝申し上げたい。
地球の奥深さを、間見られる幸せに、ありがとう。

考えることを阻まれるシステム

2017-08-17 21:48:50 | つぶやき&ぼやき
小さい人が通う学校は、かつては自由な校風が自慢だった。
しかし、今では細かい梗塞にがちがちに管理され、課題に追いまくられ、クラスメートと会話できるのは、ほぼ昼食時だ。
中くらいの人も同じ学校に通っていたとき、同様のことを話していたけれども、今になってこの学校を選択させなければ良かったのではないかと、秘かに悔やんでいる。
しかし、田舎という地域性で、学校の選択肢は非常に少ない。
もし選択肢を広げたいのならば、通学片道1時間半は覚悟をしなくてはならないし、交通費もかなりかかってしまう。
経済的弱者に入る我が家にとって、それはとてもできないことだった。
進学に力を注ぎながらも部活動を奨励する学校方針は、生徒に自由な時間を与えず、問題行動を起こす余地を奪うためにある。
これは、中学校でも同様だったが。
少しでも学校規範からはみ出そうものならば、それがいわゆる反社会的行動でなくとも、「このくらいできなければ、これに耐えられなければ、社会に出てきちんとやっていけない。」と、複数名の教師に囲まれて説教される羽目になる。
対人関係を築くための場ではなくて、協調性と集団行動を仕込ませる教練場の色合いが濃い。
たぶん、ロボトミー生産工場といってもいいような気もするが。
そして、片時も手離すことが非常に困難なスマートフォンが、より小さい人を蝕んでいる。
それでも、いくつものSNSをしていないにもかかわらず、ゲームや動画をやむことなく楽しむ姿は、私にとっては異常としか言いようが無い。
かといって、強制的に取り上げるのも強権的で好むところではなく、しばしばの対話で諭すしかないのが現状だ。
彼らには、じっくりと考える時間があるのだろうか?
それとも、何かについて深く考えることは、周囲から浮いてしまいそうで怖いのだろうか?
もしくは、大きな流れに乗っていないとまずいのだろうか?
今日は終戦記念日、多くの人々が考えることをやめた結果もたらされた痛ましい日だ。
歴史は繰り返すというけれど、それでいいはずは無い。
人はその手で人と地球の未来を奪っていいはずは無いのだから。
人は自らの攻撃性と横暴さを、無意識の悪意を、物事から目を背ける弱さを、しっかりと意識しなくてはいけないだろう。
より良い未来を作るために、努力を怠ってはならない。
考えることを阻むシステムは、崩さなくてはいけないのだ。