朝起きて、テレビから流れるニュースに愕然とした。
「ウクライナ領においてマレーシア機が撃墜される。」
「ウクライナ軍が撃墜」と「親ロシア派による地対空ミサイルブークにより撃墜」と、双方が主張しあっている。
しかし、互いに対立し争っている者達の主張なので、どちらとも信じがたい。
ただし、現に旅客機が撃墜されその残骸とおおくの遺体が散乱しているのは事実なようだ。
世界の大方の反応は、親ロシア派による攻撃の見方が強い。
ロシアと親ロシア派の将校が軍用機と誤爆したとのやり取りを傍受したという音声がもうすでにニュースで流されていたり、地対空ミサイルをウクライナ軍から親ロシア派が略奪したというSNSがあるなどと、親ロシア派が不利な状況は旅客機が撃墜されて1日と経たずにあげられるなど、先の中国行きマレーシア航空機の不明と打って変わっての迅速さには、違和感が沸いてくる。
偏った立場の主張が多く流布しているので、中立公正な立場の機関が事件の原因究明をして欲しい。
それでないと、更なる諍い種、戦火の拡大になりそうだ。
また、この撃墜機に搭乗していたといわれる多くのエイズ研究者が失われたことは、人類にとって大きな痛手だ。
このことで、エイズ治療の進歩が妨げられるとしたら、この事件は間接的な犠牲者を生んでしまうことになる。
あとは、イスラエルによるガザ地区への地上戦が開始したことも、心が痛む。
パレスチナのハマス側に武器などを供給する地下トンネルの破壊を目的としている戦闘とイスラエル側が主張しているが、それだけで戦いが収まるとは到底思えない。
なんといっても、無差別兵器ともいえる市街地への白色リン弾を投下している国の言うことだもの。
戦争にどちらが正義などないにしても、非力な市民をターゲットにするのは
最もいやらしい。
人の命はあっけなく脆く軽いものだから、人を戒めるための理想論「命の重さ」を打ち立てているのだ。
もし、マレーシア航空機の搭乗者の命がどちらかを貶めたいがための生贄で、停戦を撤回するための出来事にイスラエルの少年がパレスチナによって惨殺されたのであったとしたら、主導者たちにとって大多数の人たちは虫けらほどの命の重さもないことになる。
でも、おそらくそれが真実なのだろう、最大多数の最大幸福のための捨て駒、あるいは最悪ある特定の目的のための駒、だとしたら、実に人は悲しい生き物といえよう。
平和に人生をまっとうできる人は、実はそんなに多くない。
それでも、なんとか世界が戦争に突入しないよう、理性と良心をみんなが失わないよう”神”頼みしたくなるのだ。
「ウクライナ領においてマレーシア機が撃墜される。」
「ウクライナ軍が撃墜」と「親ロシア派による地対空ミサイルブークにより撃墜」と、双方が主張しあっている。
しかし、互いに対立し争っている者達の主張なので、どちらとも信じがたい。
ただし、現に旅客機が撃墜されその残骸とおおくの遺体が散乱しているのは事実なようだ。
世界の大方の反応は、親ロシア派による攻撃の見方が強い。
ロシアと親ロシア派の将校が軍用機と誤爆したとのやり取りを傍受したという音声がもうすでにニュースで流されていたり、地対空ミサイルをウクライナ軍から親ロシア派が略奪したというSNSがあるなどと、親ロシア派が不利な状況は旅客機が撃墜されて1日と経たずにあげられるなど、先の中国行きマレーシア航空機の不明と打って変わっての迅速さには、違和感が沸いてくる。
偏った立場の主張が多く流布しているので、中立公正な立場の機関が事件の原因究明をして欲しい。
それでないと、更なる諍い種、戦火の拡大になりそうだ。
また、この撃墜機に搭乗していたといわれる多くのエイズ研究者が失われたことは、人類にとって大きな痛手だ。
このことで、エイズ治療の進歩が妨げられるとしたら、この事件は間接的な犠牲者を生んでしまうことになる。
あとは、イスラエルによるガザ地区への地上戦が開始したことも、心が痛む。
パレスチナのハマス側に武器などを供給する地下トンネルの破壊を目的としている戦闘とイスラエル側が主張しているが、それだけで戦いが収まるとは到底思えない。
なんといっても、無差別兵器ともいえる市街地への白色リン弾を投下している国の言うことだもの。
戦争にどちらが正義などないにしても、非力な市民をターゲットにするのは
最もいやらしい。
人の命はあっけなく脆く軽いものだから、人を戒めるための理想論「命の重さ」を打ち立てているのだ。
もし、マレーシア航空機の搭乗者の命がどちらかを貶めたいがための生贄で、停戦を撤回するための出来事にイスラエルの少年がパレスチナによって惨殺されたのであったとしたら、主導者たちにとって大多数の人たちは虫けらほどの命の重さもないことになる。
でも、おそらくそれが真実なのだろう、最大多数の最大幸福のための捨て駒、あるいは最悪ある特定の目的のための駒、だとしたら、実に人は悲しい生き物といえよう。
平和に人生をまっとうできる人は、実はそんなに多くない。
それでも、なんとか世界が戦争に突入しないよう、理性と良心をみんなが失わないよう”神”頼みしたくなるのだ。
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