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2012年11月17日から18日、しし座流星群

2012-11-19 14:50:59 | 空・雲・星・太陽たち
今年のしし座流星群は、ピーク時の天気に恵まれなく、いささか残念なものだった。
しかし、私と中くらいの人は、流れ星愛好家として諦めが悪かった。
まず、16日の夜から何度となく空を見上げては、よもやの流れ星を探していた。
そして、私は、前夜からの雨が上がった18日の早朝5時に目を覚まし、まだ日の昇らない星の瞬く空を見上げる。
見上げること10分位して、南東の低い位置、杉木立の隙間に、明るく煌く光が走った。
その数分後に、また同じ方向にもう一つ。
あとはもう見ることが出来なかった。
朝、中くらいの人が、流れ星を見たのかと聞いてきた。
見たことを聞くと、なにやら決心した顔つき。
中くらいの人は、18日の深夜に、流れ星の観察を決行。
この時は、長く尾を引くものと、すうっと消えたもの2つを見た。
それから、19日の早朝4時に起きて、もう一度挑戦。
20分くらい眺めるうち、1つ見られたという。

我々は、田舎で明かりが少ないという観察に適した土地だから、流れ星に拘るわけではない。
中くらいの人の同級生でも、流れ星に興味のある割合は、存外少ないらしい。
「〇〇流星群が見られる」「皆既月蝕」「皆既日食」などがあっても、話題に上ることはないという。
日頃見られる美しい夕焼け、ときどき出る虹なども、空を見上げ、感動することが無いようなのだ。
それは、大人達にも言えること。
感動する景色とは、景勝地や紅葉などに限られているのだろうか。
「今日の夕陽がきれいだったね。」と言っていると驚かれるか、何を言っているのか分からないと言った反応が返ってきたりする、変人奇人の態なのだ。
そうすると、こちらの心に冷たい木枯らしが吹き込んでくる。
自分の生きているこの身の回りの自然に心ときめかなかったら、どこに素直に感動できるのだろう。
それとも、生活に追われ、人間関係で疲弊し、心が縮み乾ききっているので、何の美しさも受け止めることができなくなっているのか。
大人ばかりではなく、子供たちまでも、目が閉じてしまっているのは悲しい限り。
次の流れ星を見たときには、是非とも願い事をしなくてはならないと、そう思ったのであった。

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