大公の聖母
ラファエロの描き出す聖母子像は、生物が根源的に希求するものの擬人化と言って差し支えないのではないだろうか。
個として在りながらも、無意識の部分では未分化な原初的なレベルでの一体感が、この絵には表れている。
おそらく、ラファエロは本能的にそれを描き出したのだ。
こと人にとって、その一体感からくる保証された安心感が、個人を形成するうえで必要不可欠だ。
なぜならば、自己を意識し己の存在意義を問うことをしようとするその能力ゆえに、確固たる土台を作るための安心感がいる。
ラファエロは、それを効果的に表現するため画面の中央に、母子がすっぽりと入るほどの楕円を置いた。
それによって、すべてはここで完結し、安定化させている。
母と子の不可分な濃密な世界から、細胞レベルまでの同一感が、ここに存在する。
彼の絵の本当の甘美さとは、その見た目の美しさだけではなく、つまりここに在るのではないかと思われる作品なのである。
聖母子
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