rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

歓迎したくない春の使者”土埃の嵐”

2018-04-08 14:32:18 | つぶやき&ぼやき
まいりましたよ、初夏の陽気と少雨で入念に準備された地表に吹き付ける強風、見るたびに脳裏に浮かぶ「リアル、ハムナプトラ」、土埃の壁だ。
一昨日は、それはもう長時間、今日は数分でも一瞬にして茶色の世界となって、私たちを絶望させる、その威力たるや凄まじく。
頑張って堪え咲きしていた枝垂桜も、薄茶色の埃をかぶってくたびれ果てた姿になっている。
今年は、春が密度を増してやってきて、木々の梢から萌え出した若葉もあっという間に色が濃くなり、うれしいようなもったいないような、そして夏が長くなる予感もして、複雑な心境だ。
穏やかに、緩やかに、移ろい行く季節を愛でたいけれど、近年そういう感じではない。
でも其れは、人が勝手に抱く幻想なのだと、桜たちに笑われてしまいそうかも。
命はダイナミックなものだよと。


咲き始めの枝垂桜


初々しく


ソメイヨシノと競演


この数日あと葉桜に




声の誘惑、モーツァルトの歌劇”フィガロの結婚”

2018-04-01 22:27:10 | 音楽たちークラシック
<フィガロの結婚 - 愛の神よ 照覧あれ - グンドゥラ・ヤノヴィッツ 第二幕


フィガロの結婚 - 楽しい思い出はどこへ - グンドゥラ・ヤノヴィッツ -


昨年あたりから、声楽曲を聴くようになった。
その歌詞が聞き取れて意味が解るということではなく、声と言語の音の変化のまろやかな面白さに、気がついたといったところだろうか。
加齢によって聴き取れる音域の変化も、若いときには苦手だった歌劇曲を、身近にしているとも考えられる。
人は、その生涯のさまざまなステージで、得るものもあれば失うものもある。
だから、そのときに応じて、できるものを十分に堪能するのがよい。
やっとモーツァルトの声楽曲の中でも歌劇を楽しめる、なんと幸せなことか。
ほかに、ヴェルディやビゼー、ワグナーなども、こちらへおいでと待っているようで、新たな世界が扉を開けて、私を誘うのであった。

Non piu andrai (Le nozze di Figaro) - Bryn Terfel


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