rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

2021年11月19日午後6時 ほぼ皆既月食

2021-11-19 21:03:39 | 空・雲・星・太陽たち

Canon PowerShot SX100IS

140年ぶりの日本各地で見られるほぼ皆既月食が、時々押し寄せる薄雲の切れ間から見ることができた。
昇り始めた月は、午後5時をまわるころから欠け始め、ちょうどそのころ5時11分あたりにISS国際宇宙ステーションが通過するのも見られた。
そして今日の夕焼けは、かなり濃い赤色を呈していて、日没直後の空は、なんとも妙な色合いでこれから起こる月食を盛り上げているかのようだ。
ちょうど10年前のしし座流星群の大出現、まさに流星雨があったときからだろうか、メディアでもよく天体ショーがとり上げられるようになった記憶がある。
見上げればある空で起こることで、天気に恵まれれば誰でもが見られる天体ショーなのだから、これからも積極的に放送してもらいたいものだ。


Nikon COOLPIX P50





ちょっとだけ、おうし座流星群?しし座流星群?

2021-11-14 22:04:42 | 空・雲・星・太陽たち
昨夜のこと、23時あたりに東の空を、いつものキッチンの小窓から覗いてみた。
まあ、おうし座としし座の流星群がちょっとかぶってきているからね。
そうしたら、すいっと一つ星が流れるのを見たなら、もう外へ出てみるしかないでしょうと、防寒を万全にして外へ出た。
西側には月があるから、全体に空が明るく、小さな星星の光は掻き消えている。
流れ星が見えなくても、星空を見ているのは楽しい。
見上げること15分くらい、ぎょしゃ座あたりを割りと長い軌跡を描く流れ星が見えた。
そうこういっていても、やはりうれしいものだ。
息を吐くとうっすら白くなるほど冷え込んでもきたので、心配して様子を見に来た家人と共に切り上げて家に入った。
19日には、ほぼ皆既月食のようになるらしい天体イベントがある。
今のところ気象条件は良好。
夕方6時当たりに、空を見上げる予定が出来た。
さらに遅い時間は、また流れ星チェックもするつもりだ。

ほぼほぼ奇跡、ハヤブサつまりホルス降臨

2021-11-13 21:32:04 | 生き物たち

ipodで撮影


ipodで撮影

なんと、ハヤブサが庭先にいた。
どうして地面に、しかも人家の庭に?
ちょうどお昼ごろ、ヒッチコックの映画「鳥」のように、カラスの群れが家の上空で大騒ぎをしながら飛び回っていた。
大概こんなときはトビを追い回しているのだが、今回はトビの姿は見えない。
いったいどうしたことか、カラスの縄張り争いで、違う群れの抗争でもしているのだろうかと、家人と二人でしばらく空を眺めていた。
どうやらこのハヤブサはその当時者で、多勢に無勢、どうせならばカラスも手出しをしにくい人家近くで羽を休めていたと思える。
その周りには羽も散らばっているようで、多少怪我をしていたかもしれない。
滅多にないこの間近で見られる野生のハヤブサを撮ろうと、家人と私はそっと機材を取りにいく。
そろりそろりと近づきながら撮影する。
あと5mほどに迫ったところで、さすがにハヤブサも居たたまれずに音もなくすっと飛び去った。
その飛行する後姿は流れるようで美しく、ただ見惚れるしかなかった。
そして、我が家にホルスがやってきていたのだと思って、無性に嬉しくなったのだ。


panasonicで撮影

見事な晴天 宝篋山

2021-11-11 21:56:50 | 山歩き




木苺の仲間なのだろうか、調べてみると、「ホウロクイチゴ 焙烙苺」または「フユイチゴ 冬苺」のようだ。
どうやら食べられるらしいのだが、よく知らない植物は毒があるかもしれないのでそのときは試さなかった。



今日はとてもよく晴れて、なんと霞ヶ浦から真っ白な雪をいただいた富士山が、真っ青な空に浮かぶような姿で見ることが出来た。
もちろん、宝篋山からも見えたけれどそれは途中までで、山頂に着いたお昼ごろには空気が霞んで見えなくなっていた。
まだ紅葉には早い感じだが、先日の嵐でかなり葉が落ちたようだった。










老いを共に語らい、老いを共に生きていく

2021-11-09 22:58:21 | 随想たち
近頃、めっきりと老いを感じてきた。
とても幸運なことに今まで病院と縁遠かった家人が、このところ何やかにやと病院のお世話になっている。
かくいう自分も、まったく万全とはとても言えなく、本来ならば治療をしなくてはならないところがある。
けれども、困ったことに病院が恐いのだ。
だから、生活習慣に注意を払って、なるだけ病院にいかないための健康を心がけてきた。
当然のことだが、今老いが確実に自分を追い込んでいる。
けして駄洒落ではない。
一動作をするごとに、「一よいしょ」と言葉が漏れる。
立ち上がるのに、気合をためて二段階で立ち上がる。
もちろん手などを補助に使うのは当たり前。
美味しくてちょっと食べ過ぎると、もう胃もたれ。
こってりとしたものを食べても胃もたれ。
好きなてんぷらは、5個も食べるとかなり危険だ。
すんなりと、いいたいことに当てはまる言葉が出にくくて、会話の途中ちょっと間が開くようになっている。
平らなところで躓く。
覚えようと努力しても、定着が悪い。
夜中に目が覚めるようになった。
ああ、こう書き出すときりがない。
衰えていく自分のあらゆるところに愕然としたり、寂しさを感じることが、日常となっている。
それを家人と語らいあい共感共有することで、心のダメージを軽減し、時には笑いに変えて、受け止めながら前向きな諦めの境地を目指したい。
生きるとは、緩やかに死に向かうことだ。
しかし、だからといって投げやりに絶望や虚無に囚われてはもったいない。
その時々に出来ることに向かい合い、成す事が大切。
理想は、命を全うすることが心の到達点でありたい。
欲を言えば、真理の一端に触れられればと思うのだ。
家人と美味しいものを食べながら、話し合えることだけでも幸せなのだけれど。