rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

ゆず湯ってホント温まる

2024-12-07 22:40:34 | 日記
我が家には、庭に柚子の木が二本あり、今年も黄色い実を鈴なりに生らせてくれた。
義父母は、この時期になるとゆず湯を楽しんでいる。
もったいない男である家人は、義父母のところでお風呂に入る。
それは、義父母たちは湯船に並々と湯を張るため、そのお湯がもったいないからだというのが理由らしい。
以前は、長湯ができないタイプだった家人だけれど、今年あたりからは体を温めることを好むようになった。
そこで、家人が気がついのは、「ゆず湯」は体の芯まで温める効果が高いということだ。
毎晩のように、私に「ゆず湯は体が温まるから、柚子がたくさん生っているし、柚子をお風呂にいれて入ったほうがいい」とアピールしてきた。
一昨日、家人が育ちすぎて暴れている柚子の木の剪定をしていて落ちた柚子を回収したため、せっかくだからとお風呂に入れてみた。
たしかに、ゆず湯をかつて何度か楽しんだことはあったが、今回ほどの感動を得たのは驚きだった。
たぶん、歳をとって、その有用性をしみじみと実感できたのだろう。
柑橘系の爽やかな香りはいうまでもなくリラックス効果をもたらしてくれながら、柚子の皮に含まれる油分を手のひらに馴染ませてかさついた踵をマッサージすると、しっとり滑らかになる。
なによりも、湯上り後、いつまでも温かさが持続することは、新たな発見だ。
冬至には、ゆず湯に入る慣習は、だてではなかったのだと思い知らされる。
疲れてリラックスしたい時だけでなく、これから寒い時期には、ゆず湯に浸かる楽しもう。
喪失と獲得について考えていたけれど、加齢が喪失ばかりではないそのささやかなアンチテーゼとして、「ゆず湯を楽しむ」を付け加えることができたのだった。

繰り返し訪れ振り返る場所、茨城県立歴史館

2024-12-05 10:47:02 | 散歩


数年おきに訪れている、茨城県立歴史館。
子供のころより散歩で、学校の行事で幾度となく来ては、手入れの行き届いた庭を楽しんでいた。
ここには、美しく紅葉する多くの樹木が植えられており、晩秋から初冬にかけて来館者の目を癒す。
今回は、イチョウの黄葉は最盛期を過ぎていたけれど、地面に隙間なく落ちた葉はさながら黄金の絨毯のようで、そこに樹幹のとその陰があたかも古代遺跡の神殿を思わせて、どのタイミングでもいいのだと思われた。
蓮池に向かう道にあるもみじは、これ以上鮮やかになれないだろうという発色で、歩く人を魅了する。
冬枯れの渋い色合いで変化をもたらす蓮池は、安定の美しさを保持して、変わらぬ存在を控えめに主張していた。
水車小屋から古民家、茶室に導く裏道には、様々な楓が植えられていて、紅葉のグラデーションを織り成している。
まさに「錦」と表現されるもの頷けた。
よく晴れて風もなく穏やかな小春日和の続いている、その中の美しい一日だった。








イノシシの脅威 害獣駆除について

2024-12-02 15:35:13 | 生き物たち
私の住まう地域におけるイノシシの被害が顕著になったのは、2011年東日本大震災以降と記憶する。
原子力発電からサスティナブルな自然エネルギーを利用しての発電に大きく舵を切って、ものすごい勢いで太陽光パネルが乱立しだしたのに同期している。
雑木林や山が切り開かれて、そこを生息地としていたイノシシたちが農地や人家近くへと居場所を移さざるを得なかったのだろう。
また、20年前は、飼い犬の放し飼いが通常であったのだが、ペットに対する扱いの変化と野犬がほぼいなくなったことも、イノシシが人間の活動圏に進出したことも要因の一つと思われる。
もっとも、ハクビシンやアライグマ、まだこのあたりでの被害を聞かないけれど、キョンなど、外来動物が繁殖して、農作物への被害も出ている。
以前このブログに記したかもしれないが、北海道の市街地付近に羆が出没するようになった要因の一つに、その地に生きる人の体感として犬を屋外で飼うことが激減したのもあるようだ。
今日、ブルーベリーの冬の剪定をしていた家人が、昨日手入れした場所がすべてイノシシに荒らされて、しかも木を倒されたり枝を折られたりと憤慨していた。
そこで家人は、「もしかすると、我が家の警備隊として数匹の犬を迎え入れる日も近そうだ」と、本気でつぶやいていた。

害獣駆除には、猟友会の方々の協力が欠かせない。
ともすると、自分たちも危険な目にあうかもしれない大変な仕事だ。
知り合いの猟友会の人が話していたことでは、カラスなどの害鳥駆除とイノシシの大型害獣では、使用する銃の種類が違うこと、対大型害獣の猟銃を扱うには、免許の等級が決まっていることなどあるという。
また、捕獲の罠を仕掛けられるのも、大型害獣用猟銃を扱える人らしい。
命の危険を伴う行為を、公共の益のためにしてくれる方々には、感謝の気持ちだけではなく、それ相応の謝礼も必要だろうし、保障もつけなくてはならいと思う。
けれど、害獣(人にとっての)の中でもっとも危険な羆を駆除してくれる方々への対応が、なんも理不尽といえるようなものであった。
ならば、せめて公共の益に働く消防団と同じように、準公務員級の待遇があってもいいのではないだろうか?
できないと言うならば、警察官や地方公務員がその役を担うならば、問題ないだろう。
野生の動物にたいして、生半可な知識と中途半端な意識で対峙できるのか、想像すらままならないから、今のような事態になっていると思うし、なによりその方々への敬意が感じられない。
本気で必要性を感じるときは、自身もしくは大切な人が実際の被害にあったときなのだろう。
自分に関係なければどうでもかまわないというのは、無自覚の悪意と思われる。

最近、本当に日本人の倫理観が破綻していることを、ひしひしと感じる。
とても嘆かわしく、やりきれない思いだ。