『お隣りの輝さん』
ぜったいちがう!
お母さんにたてついた。
「やっぱ、あの薬が効いたからよ。美智子だって、そう言ってたじゃない」
「あれは、熱にうかされてというか、気弱になってたからよ。風邪が治ったのは京ちゃんのお守りのお蔭なのよ」
「ハハ、そうね、きっと両方の御利益だわね」
「ううん、お守りのお蔭です!」
お母さんは、それ以上は言わないで、意地悪な笑顔のまま朝食の後片付けを始めた。
あの薬、座薬というらしいけど、あんなものをお尻に入れられるのは御免なので、ぜったい効能は認めない!
お母さんが絡んでできたのは、チョー朝寝坊してしまったことへのお返しであることも分かっているので、たとえ日曜とは言え、朝寝坊なんかするもんかと心に誓った。
誓っただけじゃ通じないだろうから、箒と塵取りとゴミ袋持ってヤードの掃除をすることにした。
うちのヤードは二百坪ほどあって、所狭しと軍用車両が並んでいる。映画やテレビ、そのほかのイベントなんかに貸し出したり売ったりして飯のタネにしている。
「シャーマンの周りはいいからね」
シゲさんの一言。表に出るとシャーマン戦車がバラバラにされている。
履帯も砲塔も外され、車体の装具も溶接されたもの以外はみんな外されている。
年末にアメリカから買ってきたものなんでリストアしているんだけども、この見事なバラシっぷりは、仕事というよりはホビーだ。
ま、好きでなきゃ、この仕事はやってられないんだけどね。
シャーマン戦車の周りを掃除しなくていいというのは、バラシた部品があちこちにあって、不用意に触ったりすると怪我をする恐れがあるから。なんたって鉄の塊、総重量33トンの車体は、パーツに分解されても、部品一つで何トン何百キロというものばかり。へたに接触すると倒したりして大怪我をすることがある。
シャーマンを迂回しながら掃除をする。グレイハウンドの横を掃いてシャーマンの後ろ側に出る。
シャーマンのお尻のハッチを開け、ホースを突っ込んで、お父さんがエンジンルームを水洗いしている。
なんとなく薬を入れられた時の自分を思い出してドギマギ。
「表を掃除しよ」
ゲートを出て、ウーン……と伸びをする。首を回すとカキッコキッっと音がする。わたしもレストアかなあなどと思っていると笑い声。
クスクスクス
驚いて顔を向けると、畑中園芸の前に知らないオバサンが掃除をしている。
「お、おはようございます」
間の抜けた挨拶。もう「おはようございます」の時間じゃない。
「じゃなくって、こんにちは」
みっともなく言いなおす。
「こんにちは、如月さんの娘さんね?」
「は、はい美智子って言います」
「あたし、畑中園芸の娘。娘って歳やないけどね」
「あ、でも娘同士ですね!」
「ハハ、そうやね。ここしばらく、よう来んかったんやけど、たまに来ては親孝行の真似事してます」
「それは大変ですね、わたしも見習わなくっちゃ!」
「ホホ、ミッチャンもしてるやないの(箒と塵取りを持ち上げた)」
「アハハ、わたしのは気まぐれですから」
「いっしょいっしょ、ミッチャン、きれいな標準語使うんやね」
「あ、えと、十月までは尾道に住んでましたから」
「あ、そうなんや」
ほんとは尾道なのに広島弁じゃないことの説明がいるんだけど、オバサンは納得してくれた。
「あたしは吉岡輝美て言います。もちろん元は畑中輝美やったけど、呼び方は輝ちゃんでいいわよ」
「そんな、目上の人に『ちゃん』では……輝さんでいいですか?」
「そやね、それでええわよ」
それから、お天気やら八尾の話やらの世間話になった。輝さんは、姉御肌ってか包容力のあるオバサンで気楽に喋れる。
わたしは、自分のことをキッチリ話しておきたい衝動にかられたけど、親友の京ちゃんにも言っていないことなので――京ちゃんに話してからだ――妙な義理立てをしてしまう。
「あ、あの子……」
輝さんが、わたしの後ろに、何かを見た。つられて、わたしも振り向く。
「あ、イリヒコ」
「え、イリヒコていうのん?」
なんと、輝さんにも見えたようなのだ!