ライトノベルベスト はるか・14
その翌週の木曜に、秀美さんは病院に来た。
正確には、来ていた。
九月に入って短縮授業の新学期。部活の無い日なので、学校から直行したんだけど、秀美さんの方が先に来ていた。
「お父さん……」
ノックもせずに病室に入った。
一瞬フリ-ズした……三人とも。
秀美さんは、ベッドの脇に腰掛けて、お父さんと話していた。
仕事の話らしいことは、その場の空気でわかった。
ただね、距離の取り方が、二人の心の近さとして、チクッとした痛みをともなって、わたしには感じられた。
距離には人間関係が反映される。かねがね大橋先生から言われていることだ。
物理的距離が心理的距離を超えると、人は落ち着かなくなる。
たとえ第三者として見ているだけでも……。
だから稽古では、状況や人間関係に合った距離に気をつけて演技している。
そして気をつけなくても、その距離が自然にとれるようになれば、演技としては完成。
二人は、まさに、その完成された距離を自然にとっていた。
そして、それは演技ではなく、現実の人間関係……。
「新しい商品、はるかちゃんも見てくれる」
わたしがホンワカ顔をつくろう前に、秀美さんに先を越された。
「うわー、かわいい!」
女子高生の常套句しか出てこなかった。
しかし、その商品見本たちは、ほんとうにイイ線いってた。
シュシュ(ポニーテールみたく髪をまとめるときの飾りみたいなの)のシリーズだ。
「次の春ものにね、ちょっとチャレンジしてみようと思って」
水玉、花柄、ハート、チェック柄、といろいろ。
「今の子って、はるかちゃんみたいにセミロングとかが多いじゃない。それって、表情隠れちゃうのよね。あ、悪いってことじゃないのよ。時にはオープンマインドなイメチェンしてもいいんじゃないかって、そういうネライ」
「わたしも、ヒッツメにすることもあるんですよ。稽古のある日はお下げにしてますし」
「そうなんだ。でもさ、そういうのをさ、もっとポジティブにさ……」
あっという間にポニーテールにされた。シュシュは群青に紙ヒコーキのチェック柄。
「お、いけてるじゃないか。実際身につけてもらうとよく分かるなあ」
「このシュシュ……」
「そう、あのポロシャツがヒント。商標登録されてないの確認できたから作ってみたの。そうだ、はるかちゃんモニターになってくれないかなあ」
「え?」
転院は平日の昼前だった。
わたしは担任の竹内先生に、電話で正直に言って新大阪駅まで付き添った。
お母さんは、やっぱり来なかった。
「はるかちゃん、ほんとうにありがとう」
車椅子を押しながら、秀美さんが礼を言う。
静かで、短い言葉だったけど、万感の想いがこもっていた。
わたしは、群青に紙ヒコーキチェックのシュシュでポニーテール。
「今度のシュシュの企画当たるといいですね」
「もう当たってるわよ。さっきから何人も、はるかちゃんのことを見ている」
「え……車椅子の三人連れだからじゃないんですか?」
「視線の種類の区別くらいはつかなきゃ、この仕事は務まりません。むろん、はるかちゃん自身に魅力が無きゃ、誰も見てくれたりしないけどね」
「はるかの器量は学園祭の準ミスレベル。父親だからよくわかってる」
「それって、どういう意味」
「客観的な事実を言ってるんだ」
――それって、わたしのウィークポイントにつながっちゃうんですけど、父上さま。
「今のはるかちゃんは、東京で会ったときの何倍もステキよ。そのシュシュが無くっても」
――それは、秀美さんの心映えの照り返しですよ。
発車のアナウンス。車窓を通して、笑顔の交換。発車のチャイム。
あっけなく、のぞみはホームを離れていった。
見えなくなるまで見送って、ため息一つ。
この、あきらめとも安心ともつかないため息一つつくのに、四カ月の月日が流れていた。わたしには人生の半分のように思われた。
空には、夏の忘れ物のような、小さな入道雲が一つ、ピリオドのように浮かんでいた。
『はるか 真田山学院高校演劇部物語・第18章』より