ライトノベルベスト・エタニティー症候群・2
[もう少し楽になろうよ]
苛烈などというものではなかった。
東鶏冠山北堡塁は旅順要塞の東に位置し、旅順攻撃の初期のから終結時まで激戦地になった。
堡塁はM字型の断面をしており、Mの左肩から突撃した日本軍はMの底に落ちる。するとMの両側の肩の堡塁の銃眼から機関銃や小銃、手榴弾などでされた。
この甲子園球場ほどの堡塁を抜くために、日本軍は8000人の戦死者を出した。乃木軍隷下の第11師団の大隊長である立花中佐が戦死したのは11月の第二回総攻撃のときであった。
吶喊と悲鳴が交錯する堡塁の壕を目の前にして立花は身を挺さざるべからずの心境であった。8月の第一次攻撃の時は、罠にはまったと瞬時に理解し部下に撤退を命じ、大隊の損害は百余名の損害で済んだ。
だが、今回は重砲隊による念入りな砲撃。工兵隊により掘られた坑道からの爆砕をやった上での突撃である。先に飛び込んだ部下のためにも立花は突っ込まなければ、軍人として、人間として自分が許せなかった。
M字の底から右肩の堡塁にとりついたところ、立花は6インチ砲の発射音を間近に聞いた。死ぬと感じた。感じたとおり、その0・2秒後に彼の肉体は四散した。その0・2秒の間、彼の頭を支配したのは、内地で結核療養している一人娘の麗子のことである。
「よくもって、この秋まででしょう」
どの医者の見立ても同じであった。そして麗子は立花の戦死の二日前に十七年の短い生涯を終えていた。
そして、麗子は父の戦死の時間に荼毘に付されていた。三時間後、叔父を筆頭に親類縁者が骨拾いに火葬場に行ったとき。釜の前に麗子が立っていた……。
立花は弟が腰を抜かすのを見て戸惑った。
「浩二郎!」
そう言って駆け寄ったときの自分の声と指先を見て愕然とした。そして、弟の嫁が震える手で差し出した鏡を見て、言葉を失った。
自分は、娘の麗子そのものになってしまっていた……。
それ以来、立花は麗子として十年を過ごした。三年目ぐらいから自分の体に変化がおこらないことに不審に思った。友達は次々に嫁ぎ、子を成し、相応に歳を重ねていたが、自分一人がそのままなのだ。人に相談することもできず、自分で文献を調べ、五年目に異変の正体に行きあたった。それは、アメリカのオーソン・カニンガムという学者の説であった。
※ エタニティー症候群:肉体は滅んでも、ごくまれに脳神経活動だけが残り、様々な姿に実体化して生き続けること。その実体は超常的な力を持つが、歳をとることができないため、おおよそ十年で全ての人間関係を捨て別人として生きていかなければならない。この症候群の歳古びた者を、人は時に「神」と呼ぶ。
立花は、その五年後に出奔した。もう年相応では通じないほどに若いままだったからである。
それから、七人に入れ替わった……というより、実体化した。いずれも、ほとんど麗子のままで、そのたびに戸籍や家族が用意されていた。そして、並の人間では持てない力が備わっていることも分かってきた。だが、心はいつまでも立花浩太郎中佐のままであった。
で、昨日も学校の平和学習の語り部としてやってきた92歳のハナタレ小僧をへこませてしまった。
「とらわれすぎるんだよ立花さんは。昔のままの自分をひきずってちゃ仕方がないよ」
いつの間にか、中庭のベンチの横に神野が腰かけていた。
「もう少し楽になろうよ」
そう言って、神野は指を鳴らした。
「あ、神野君……!」
「つまらないこと聞くけど、君の名前は?」
「もう、ふざけないでよ」
「いいから、言ってごらんよ」
「立花麗……アハハ、照れるじゃん。幼稚園からいっしょだったのにさ。あ、生年月日とか言ったら、なにかプレゼントとか良さげなことあったりして?」
「考えとくよ。とりあえず、今日は、これで良し」
「へんなの……」
お気楽にAKBの新曲を口ずさんで校舎に消えていく幼馴染に「イーダ!」をした麗であった。