ライトノベルベスト
熱海を過ぎると圧倒的な迫力で見え始めた……。
受験の時は行きも帰りも夜行バスなので気づかなかった。
富士山がこんなにも圧倒的で迫力があって人格的な大きさを感じさせるとは思わなかった。
偶然E席をとったので、窓から見える富士山は独り占めだ。
――こんな山見て育ったら、人間変わるやろなあ――
富士山は、テレビなんかの画像で何度も見てきているので、知ったつもりになっていたが、現物で見る富士山はまるで違った。
熱海を過ぎて気づいた富士山は、三十分余り雪子を圧倒のクレッシェンドの中に放りこんだ。
雪子にとっての馴染みの山は、生まれてこの方見飽きた生駒山である。
生駒山、地学的には傾動地塊(けいどうちかい)という。
生駒構造線というのが奈良と大阪の間にあり、数十万年の時を掛けて押しあがった大地のシワのようなもので、定高性が著しい。
要はダラダラした山並みで、富士山のような孤高とか崇高な人格は感じさせない。関西はおしなべて、この手の山が多い。京都の東山も、六甲の山も同じ仲間で「布団着て寝たる姿や東山」という川柳や太宰治の『富岳百景』が実感をもって感じられる……どうも感想が受験生的なので、自分でもおかしくなった。
三年前の夏、ヒデの告白を半分受け入れるカタチで付き合い始めた。
ヒデは勉強もスポーツも上手く、楽器も軽音で使うものなら一通りできた。メンツは父親似で、ベースは整ったイケメンに属する。ま、学年に二三人はいる程度の「よくできる男の子」であった。
半分受け入れたというのは、雪子が「揃って東京の大学行けたら本格的に付き合う」ということにしたからである。
そのヒデは、バッグの中で天神さんのお守りに成り果てている。
さすがに、新大阪までは見送りに来た。三月には珍しい雪がちらついていた。
「大阪で見る雪も、しばらくサヨナラやな……」
Jポップの古典曲のようなことを言った。
――もっと、ましなこと言えんかあ――
そう思いながら、いっしょに振り散る雪を眺めていた。
ヒデは正式には三島秀介(しゅうすけ)という。長男なので父親の一字をもらって秀一とか秀太が似つかわしいのだけど、父は自分のような苦労をしないで、人の二番目ぐらいで生きていけという気持ちを込めて、律令の官制の二等官にあたる「介」の字を入れた。
しゅうすけだったら「しゅう」と呼ぶのが普通なんだろうけど、わたしは「ヒデ」と略す。「しゅう」では風船から空気が漏れるようで力が入らない。「ヒデ」は「ヒデッ!」と力を籠めやすい。
嫌がるかと思ったら、あっさり受け入れて気弱に「うん」とか言う。「しゅう」という呼び方は生駒山の姿に似ている。「ヒデ」というのは二音節ということもあって「富士」に近いんだ……というのは屁理屈で、「ヒデ」は嫌だと言えばみんなが呼ぶように「しゅう」にしたんだぞ。
ヒデが東京の大学を受けなかったのは経済的な理由ではない。要は気持ちなんだ。一応優等生の部類に入るヒデは、東京で並あるいは並以下の学生になるのが怖いのだ。
理屈はいくつも付いていた。やりたい学部は関西でも東京に負けないところがあるとか軽音のメンバーも続けたいし。などなど……。
百歩譲って、そういうヒデでもよかった。
正直に「東京は怖い」で良かった。そして、「それでも雪が好きや!」そう言えば、デッキで目を見つめて、こう言えた。
「ほんなら、また連休にでもな!」
雪子は、だまって振り向きもせずに車内の席についた。窓越しにヒデの視線を感じたがシカトした。せめて、せめて窓をノックして笑顔ぐらい見せろよ……怒った顔ならなおよかった。ヒデの視線の距離は発車まで変わらなかった。
雪子は、思い立って富士山の写真を撮り、メッセをつけて送った。
――特に意味なし。現物の富士山はええで!――
連休にヒデが来るか自分が行くかしないと、本当にヒデとは切れそうに思った。
――富士山の雪、連休まで残ってるやろか――
そう思った頃、新幹線は三島の駅を素通りした。