『いっぺん死んでこいよ!』
イギリスやフランスが強いのは漢字が無いからなんですよ。
静かに来輔は言う。
来輔は物静かな男だ。
生まれつきのものではなく、越後の百姓の家に生まれ、その後の転変の中で自己教育してきた賜物である。
元来は、この幕末期に事をなした若者たちのように軽はずみで軽躁なところがあって、日ごろは押えている。
物事に弾みのいい心と軽率なくらいの行動力が無ければ歴史や時代を動かすことなどできないのかもしれない。
坂本龍馬や近藤勇などが、その軽躁若衆の代表である。
龍馬は土佐の田舎から出てきて、たちまちのうちに北辰一刀流の免許皆伝になるほどの剣術の達人であるが、生涯にわたって刀で勝負したことが無い。護身用に龍馬が携えていたのはアメリカ製の五連発銃だ。
じっさい寺田屋などで命を狙われた時に龍馬が使ったのは刀ではなく五連発だ。古い、もしくは年配の剣客ならば刀を抜く。抜いて大太刀回りしているうちに取り巻かれ命を失っていたであろう。
江戸に居たころ、当時の若者がそうであったように龍馬も尊攘の熱に浮かされ、開国論者で幕府の軍艦奉行である勝海舟を切るべく、その屋敷を訪ねる。闇討ちではなく、堂々正面玄関から訪れたというのが龍馬の明るさであり軽躁なところであろう。
そして、龍馬は逆に世界の情勢と日本の現状を諄々と説かれ、即座に攘夷を捨て勝の弟子になってしまった。
多摩の百姓の小せがれであった近藤勇は、剣の腕さえ上げれば、いつか武士になり戦国武将のように、その腕で大名にも成れると夢想していた。土方歳三らの仲間と小さな道場を立ち上げ、近隣の道場破りをやっているうちに名が上がった。
折から、幕府は有名無実になった所司代の代わりに京の街の治安を守り尊攘派の浪人たちを取り締まるための実働組織を作ることになった。実直さに置いて天下一の会津藩に京都守護職を命じ、実働部隊としては腕に覚えの浪人たちを集め京都に向かわせた。これに応募した近藤たちは実働部隊の中で頭角を現し、競争相手を文字通り打倒すことによって新選組を捏ね上げ、幕府方最強の剣士集団を作り上げた。
軽躁過ぎる、早晩両名とも命を失う。どんな運や才能があろうと、志半ばで死んでしまっては何にもならない。
来輔は冷静に思ったし、思った通り龍馬も近藤もアホらしい死に方をした。
いや、何事かを成したという点では両人とも了とするところがある。多くの軽躁な若者は、なにも為すことなく夜明けの鶏のようなけたたましさの中で身を滅ぼしていった。
無駄に飯を食うだけのつまらん人生だ。
来輔はじっくり考え、これだと思うことを、それを成す力と立場のある人物に進言することを天賦の仕事にしなければならないと思った。そのため、龍馬や近藤に通じる軽はずみは厳に戒めている。
自分には着想と企画の才だけがあって、人に号令して働かせるような明るさも力もないと思っている。まるで、良い教師が生徒の能力と性向を見抜くように自分を理解している。
奈何は、こういう冷静な来輔を好ましいと思っている。
だから、新婚初夜からほったらかしにされても、応援こそすれ恨みがましく思ったことは無い。
だからこそ「イギリスやフランスが強いのは漢字が無いからなんですよ」という来輔の着想はダメだと思った。
実のところ、冷静に物を見て的確に判断する力は奈何の方が夫の来輔よりも奈何の方が数倍勝っている。
ただ、この時代の女性としての慎ましさから、奈何は毛ほどにも思わない。
何よりも、奈何は、自分でも気づかない軽躁さ、龍馬や近藤に比べれば折り目正しいと言っても良いそれを好ましく思っていた。
しかし、漢字の廃止は有りえない。
百五十年後の女子高生なら、こう言っただろう。
いっぺん死んでこいよ!