今日からまりあは学校に行く。
行くにあたってまりあは気を使った。
苗字を『舵』から『安倍』に変えたのだ。
舵という苗字は珍しい部類に入る。カジと発音する苗字は『梶』や『加地』『加治』ならたまに見るが『舵』というのはめったにない。首都で『舵』を名乗るのは旅団司令の『舵司令』だけで、舵を名乗れば司令の娘であることが丸わかりだ。司令の娘であると知れれば、なにかと親父に迷惑をかけるかもしれないと、十六歳にしては出来過ぎた、そしてまりあらしい配慮からだ。
だから、まりあは親父に伺いを立てた「お母さんの旧姓で行きたいんだけど」ってね。親父の答えは「勝手にしろ」だった。作戦会議の合間のわずかな面会、ぶっきらぼうってか『こんなことぐらいで呼び出すな』的な顔をしていた。言葉に出さずとも――気を使わせたな――的な表情をしてやればいいと俺は思ったんだけどな。いかんせん、過去帳の中だ、まりあの心臓がトクンと鳴ったのを憐れに感じてやるしかなかった。
目立たず、大人しくやって行こう。自分のためにも親父のためにも心に誓うまりあだ。
正しくは『新東京西高校』と字面で見ると西だか東だか分からない名前、新東京が首都と呼ばれることにならって第二首都高と、なんだか高速道路のように呼ばれている。
「みんなベースで働いている家の子たちだから、仲良くやれるわ」
担任の瀬戸内美晴先生が言うので「はい」と応えたまりあだが、そんな簡単にはいかないだろうと思った。
学校やクラスに順応するのは大人たちが思っている何十倍も大変なことなんだ、まして学期途中の転校生にとってはなおさらだ。苗字を安倍にして正解だと思った。
「はじめまして、今日から、このクラスの一員になります。よろしくお願いします」
そこまで挨拶したら、教室のあちこちから笑い声がした。
あ……と思ったら、瀬戸内先生が黒板に名前を書いていた。
安倍まりあ
いきなり書くと笑われるか感心されるかだ。中高生と言うのは遠慮が無いから、たいてい笑われる。
だから自分で言ってから、自分で黒板に書くつもりだった。配慮のない担任だと思った。
「えと、なんだかキリストのお母さんみたいな名前だけど、クリスチャンではありません」
じゃなんだよ かわいいじゃん キャバクラにありそう つくり笑顔よ 意外にスレてたり 援助交際とか やってんのかー
好奇心の裏がえしなんだろうけど、遠慮のない呟きは神経に触る。
「席は、あそこ、後ろから二番目ね」
瀬戸内先生が指差した窓側から二列目の席に向かう。手前の両側の席にニヤケた男子が座っている。
まりあは用心した。
ひょっとしたらなにかされるかも……瞬間ニヤケが息をつめたような気がしたが、無事に席に着けた。
「わたし釈迦堂観音(しゃかんどかのん)、よろしく」
後ろのお下げが小さく挨拶してくれたことが嬉しかった。
「あいつら自他ともに認めるヤジキタだから相手にしないでね。文字通り矢治公男と喜田伸晃だから」
昼休み、意外に女子三人がいっしょに食堂で食べてくれたので、いろいろ話が出来た。
どうやら釈迦堂さんは、いい友だちになれそうな気がするまりあだ。
「わたしもね、名前の中にお釈迦さまと観音さまがいるから笑われたものよ。もっともうちは文字通りのお寺なんだけどね。釈迦堂って言いにくいから、日ごろは『お堂さん』だけどね」
「あ、可愛い」
「あたしらは鈴木と佐藤だから、良くも悪くも注目なんかされないけどね」
そう言いながら、鈴木さんと佐藤さんはコロコロと笑った。
「瀬戸ちゃんは悪い人じゃないけど、鈍感だから」
「そうなんだ」
「当分は、わたしたちに聞いてもらえばいいからね」
「お堂さんは頼りになりわよ~」
三人とはいい友だちになれそうだ。
「事務所に提出する書類があるから」
そう言って「着いていこうか」という三人と別れて一階の事務室を目指した。
――お、やっぱ白だったんだ!
――ほどよくプニプニじゃんよ!
――どれどれ!?
階段の下からの下卑た会話にカチンと来た。この声は、あのヤジキタとその仲間だ。
放っておいてもいいんだけれど、まりあは階段の手摺から顔を覗かせてしまった。
――こいつらーーー!!
思った時には階段を駆け下りていた。
「隠し撮りしてたなーー!」
「「「あ、安倍まりあっ!?」」」
次の瞬間、スマホを持っていた矢治ごと蹴り倒し、返す左足で喜田にローキック! 茫然自失のもう一人に裏拳をかました。
この学校ではおとなしくと誓ったまりあは半日ももたなかった。