バスを待つ間に、飛び込んだ本屋さんで見つけた本です。
読書の苦手な私でも気軽に読めそうだと思い求めてみました。
けれど、お仕事に忙しいビジネスマン向けとあって、序文に全体の趣旨をまとめてくださっているページがあり、これを読んでしまったら、元々カタカナの苦手は私はもう全くページが進まず困りました(^^;
人工知能の精度があがっていくに従い、ビジネスの世界では益々直感や感性による決断、リーダーシップが不可欠となるだろう。
それには、美意識を磨くこと、真・善・美のバランスを得ることが大切だということで
グローバル企業が世界的に著名なアートスクールに幹部候補生を送り込んでいる、
アメリカやイギリスの知的専門職が早朝のギャラリートークに参加しているのは
単なる教養を身に着ける為ではないだろう
などの内容と簡単には要約できるかと思います。
筆者である山口氏は最後に
「物質主義・経済至上主義による疎外が続いた暗黒の19~20世紀が終わり、新たな人間性=ヒューマニズム回復の時代が来たと表現されるべき転換が起こりつつある。」と書かれ、
その兆しの一つが多くの組織や個人によって取り組まれている「美意識の復権」に関する取り組みであり
今の世の中の通説とされる「生産性」「効率性」といった外部の物差しでなく、
「真・善・美」を内在的に判断する美意識という内部のモノサシに照らして、自らの有り様を読者に考えて頂くきっかけになればよいと
結ばれています。
いつもシーソーに乗っているように、どちらかに傾くとその破調を食い止めようともう一方にグンと重いおもりを乗せる。
人はその繰り返しで歴史を築いてきたのだと思います。
そのシーソーの揺れ幅が大きくなって、どうにもならなくなると・・・
この猛暑続きや、雨や台風の災害などと同じように、人間の世界では戦争が起きたり、思わぬ病気が蔓延したりするのだと思えます。
けれど、果たして
美意識とは鍛えられるものでしょうか?
悲観的な私は、この本を読ませて頂きながらそんな疑問を持ち続けました。
美意識とは私達それぞれの体に、祖先や、祖父母、父母が育んできてくれたものではないでしょうか?
その美意識によって、私達は食べる物を選び、住まいを選び、一生の伴侶を選び、どのような仕事をするかを選び、またどのような経営をするか方針を立てることが出来るのだと思うのです。
資本主義の世の中では、利益や権力を追求することこそ「男の美」とお考えの方でしたら、その集大成として世界中で話題になる高額な作品を世界有数のオークションで落とすという行為によってその美意識は満たされることでしょう。
物を集めることが大切とお思いになる方の美意識は、多少その場が汚れても、また真贋の境界線が多少甘くても出来るだけ多くの美術品をお部屋やおうちに並べるという行為こそ蒐集の目的だとお考えになるでしょう。
そしてどんな美意識にもこたえてくれようとするのが、真の美術品だと思えます。
一口に「美意識の復権」といっても、日本において今更武士の時代の美意識を取り戻すことは不可能ですし、
現代に生きる私達の美意識は、もはや村上隆であり、奈良美智であり、草間彌生であったりするのです。
美意識の復権ほど難しい問題はないように感じます。
わたくしは、こうして沢山の絵画や美術品に触れながら、
自分の美意識を鍛えているという感覚を持ったことがありません。
どちらかというと幼い自分に戻っていく感覚。
遠い昔、寝る時に蚊帳をつって中で団扇を仰ぎながら、子守歌や絵本を読んでくれたり、
髪をとかしてくれたり、洋服を選んでくれた母の思い出。
大工の父が大けがをして、家に帰ってきたときのあの赤い、黒い血の色。
父が釣ってきた大きな鯉が盥に泳ぐときのなまめかしい鱗の強さと美しさ。
大人になって失いかけた、そうした記憶、情感を辿る作業を今になってただひたすらしているように思えるのです。
そして、その感覚、美意識を思い起こさせてくれるのが、私の場合、この本の中で山口氏も述べられているように詩などの文学性や哲学性を多く孕んだ美術品、特に、日本近代絵画であるということなのだと思います。
芸術にふれることによって、
わたくしに父母や祖父母が育ててくれた価値観を、自ら感じながら、
佐橋美術店をとおし、私だけにできることをこれからも探してゆきたいと願っています。
そして、価値を近く、同じくするお客様がたとご一緒に美術品をながめながら、
「ああでもない、こうでもない」と笑いながらお話しする時間を大切に生きていきたいと思っています。
最後にこの本の中の、将棋の羽生さんのお言葉をここに書かせていただきます。
美しい手を指す。
美しさを目指すことが、結果として正しい手を指すことにつながると思う。
正しい手をさすためにはどうするかでなく、美しい手をさすことをめざせば正しい手になるだろう考えています。
このアプローチの方が早いような気がします。
羽生善治「捨てる力」