つれづれ

名古屋市内の画廊・佐橋美術店のブログ

おうちの灯り

2020年04月19日 | 日記・エッセイ・コラム

先週は2人で店に通いました。
店でも結局2人だけで過ごしていますので「外部との接触」は避けられていると思いますが、「家にいよう」は守れていませんでした。





この子に餌をあげに来る必要もありませんので、必ず店に来る必要もないのでしょうけれど。。

それでも、店に来てしまうのは

 溜まってしまっている仕事を少しでも片付けておこうという気持ち。

 仕事から離れてしまうことへの不安

 自分たちの選んできた作品は今、どう見えるだろう?という興味

の理由からだと思います。









昨夜、店から自宅に戻る途中、名古屋の繁華街、栄や久屋大通の多くのビルが、灯りを消していることに驚きました。

そして、マンションやお家の灯りがいつもより多く灯っていることに気づきました。

ヒューマニズムの回帰を願い、私たちは近代日本美術作品を扱わせていただいてきたつもりでおりましたが、おうちに絵を飾ろうにも、皆さんが普段おうちに長くはいらっしゃらないのだ。。とあらためて気づかされました。


今月15日の中日新聞の記事が頭から離れません。

なかでも98歳の哲学者エドガール・モランの言葉
「全人類が運命共同体だとかつてないほど強く感じている」には色々な事を考えさせられました。

ニュースは沢山見ないようにしていますが。。



自分が感染してしまったという事実に耐えきれず、わざわざまだ開店もしていないお店に行き、ソファーに居座ってしまう人。

高速道路に車を飛ばしてまで、他県のパチンコ屋さんにいってしまう人。

あのいくつものおうちの灯りの元には、この方達の心の居場所がなかったのではないだろうか。




「出かけることも許されないお子さん達」はその灯りの下で命にかかわるほど辛く、苦しい思いをしていないだろうか。



仮住まいをされながら重篤患者さんの治療にあっていらっしゃるお医者様、看護師さん達は毎日どんなお気持ちであの防護服を着るのだろうか。家族の待つ、温かな部屋の灯りにホッと安心して帰れる日々を思っていらっしゃるのではないだろうか。


私達は他者に「なんてことをしてくれたんだ」と怒りながら、「ありがたい。敬意を表したい」と心から感謝しながら

「もろともに」生きている。それが運命共同体の姿なのだと実感されます。



現代人にとって、おうちにいよう!という決意は相当に困難なことのように思います。

資本主義と科学の究極の進歩が、物質を介することでしか人と人の関わりを認めてこなかったからです。
物質は常におうちの外にあります。




ヒューマニズムの復権は、私たちの望むところであったはずなのに、
人はそこに帰ってくるだろうと信じてきたはずなのに、、

いざ、その分岐路に立たされてみると、運命共同体の先行きを今一番疑っているのは、この店に絵を飾り、スポットライトをたくさん灯してきた私たち自身であることに驚きます。

愛や情緒を重んじたいと願って灯してきたその灯りは、これからどんな灯りになっていくのだろうか?

休業させていただく間に、自分たちの願いをあらためて確認したいと思っています。



今週からはしばらく自宅で過ごすつもりです。

作品の画像や画集などの資料が揃いませんので、身の周りのことばかりになってしまうかもしれませんが、
また皆さまにお読みいただければ幸いに存じます。
























コメント (2)
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