さて、ここは1番!藤井風君の「へでもねーよ」🎵を聴きながら頑張って書きます。
長谷川利行作品と並べて見ると、藤島武二の作品がとても大人しく時として地味に感じられます。
梅原龍三郎作品でさえも、ちょっと危ない💦が、さすが梅原!負けてはいません。
芸術を狂気、情緒の極限ととらえるなら、長谷川利行の一部の、そうです😊一部ですよ、
その一部の作品に芸術を感じる事は間違いない事実です。
利行は詩人であり、決して画家としてその一生を全うした人ではありませんが、その芸術性は詩よりむしろ絵画によって強く表現されたと言ってよいと思います。
普通の画家ではない。かといって、山下清や棟方志功側の人だともいえませんね。
震えるような感動、作品を前にした時のあの登り詰める感動の世界が、上?とは言いませんが、違った色をしているからです。
利行は絵を描いて生活はしておらず、ただ食べ物、お酒に替えていた。
良寛もそうですが、その命がけ、ギリギリ感、凹み具合、感性の狂気、、やっぱり上手く言えないなぁ、、
兎に角別格なのですね。先の記事に書かせていただいたお客様がポツンと名言を吐かれました。
利行は生きている間に、自分の作品がこんなにもてはやされ、高値が付くとはつゆぞ思っていなかっただろうに。。。
画商という仕事の難しさは実はここ、芸術性の問題にあります。
狂気を追いかけたら、又は錯覚をしたらドボン!と深い水の底に沈みます。
死にます。けれど、追いかけなければ、芸術には触れられない。わからない。
私たち夫婦は、生活をしながら、お互いに腰に紐を巻いて🪢おっと危ない!とその紐を引き合いながらこの道を歩いてきたように感じます。
佐橋の病気もやむを得ない。私のトンチンカンもやむを得ない。
言い訳になりますが、2人共にそう思っています。
例えば、ロートレック、例えば佐伯祐三、例えば御舟、華岳を追いかけるとはそういう事です。
その上で、まぁこの藤島が藤島の最高峰作品とは言えないかもしれませんが、絵描きの矜持。
技術、感情のコントロール、一生をかけて鍛えて行く筆に自分の命を淡々とのせていく職人技。
それを見逃さず、大切にできる画商でもありたいと思うのです。
これも芸術!いえ、もしかしたら、これこそが文化!芸術だからです。
そして、このお行儀の良さ、品こそが、私たちの生活を支え、家族を守っていくヒントをくれるからです。
ただ、そこにも揺さぶりは必要です。
佐橋美術店にお通いくださるお客様には、芸術の境界線を行ったり来たりしながらも、ご自身の生活を守り、人生をお楽しみいただきたい。
私達はいつもそれを願い、この仕事をさせていただいています。
最後にこの作品を長くお持ちでいらしたのは、女性のコレクターさまであることを皆さまにお伝えしてとりあえずのご紹介を終えさせていただこうと思います。
つべこべ言わない。
そういう方がこうした作品をデン!とお持ちになるのかもしれないですね。
明日からも、皆さまのご来店を心よりお待ち申し上げます。
※ 長谷川利行 キャンバス・油彩 10号「不忍池風景」45.5×53㎝ 遺作展出品
木村東介鑑定書 東京美術倶楽部鑑定書