昨日はご来店のお客様がいらっしやらなかったので、ついのんびり過ごしてしまい、午後のおやつの時間が近づいてから慌てて仕事を始めました。
やらなくてはいけないことは、それなりにあるのに、切羽詰まらないと動き出せないことがとても多くなりました。二人の時にはきっとお互いが監視役にもなれ、それなりに仕事ができたのだと思います。
せめてブログだけは書かせていただこうと堂本印象について調べていると、また画集を前にして立ち止まってしまって、とうとう記事を書けないまま帰社してしまいました。
画集の前で立ち止まったのは、「秋色」が何年位の制作か?ある程度はっきりさせたいと思ったからです。佐橋には「後期」としか聞かされていませんでした。
弥栄さんにお尋ねすれば、すぐに教えていただけるのはわかっていますが、そして今調べてもまたすぐ忘れてしまうのもわかっていますが、それでもとにかく調べないと!と思いました。
「なんとなく~」一日の大半をグズグズ過ごしてしまった時間を取り戻すのには、逆に時間の無駄遣いのようにじっくり何かに取り組むほうが、「何かをした一日」になるように感じます。
同じ落款は画集にありましたが、年代はわかりません。
「印象」の文字は、多分昭和20年~30年のころだろうと思いますが、その判別は難しいと思えました。わずかに「印」という文字の変化があるくらいでしょうか。
あとは同じような作品を画集に見つけるしかありません。
堂本印象は、印譜をコロコロ変える画家ではなかったように思いますが、作風は随分変化していきます。
ヒントは絹本!墨の扱い方!人物の描写!です。
昭和20年代前半の作品たちです。「秋色」にとてもよく似ています。
昭和30年の作品です。
「秋色」です。
20年~30年というのはわかりますが、さらなる年号の決定はやはりできません。
ですから、とりあえず、昭和20年~30年。1945年から1955年。
印象50代半ば~60代前半の作品と考えたいと思います。
もし、訂正があればまたお知らせいたします。
ちなみにこの後すぐ、昭和30年64歳で印象は抽象表現に挑戦します。
日本芸術院会員、文化勲章受章、美術館のデザイン。
この昭和30年前後の堂本印象には華やかな経歴が並びます。そこで老境の境地に入るのかと思いきや、それまでの画業を網羅しながら、或いは活かしながら、抽象の世界に挑戦を挑むその熱意。
御舟の言う「梯子を降りて次へ向かう勇気」というより、梯子を降りると同時に次の梯子に足をかけている画家、それが堂本印象のように思えます。
体質的というより、かなり意志的な行為のように感じられるのも特徴的です。
朝顔 昭和40年
抽象画を描きながらのこの線描画。
初期の線描とは全く趣が違います。
いつもどこか明るく、楽しく、かといって軽々しくなく、寂しく、けれども決して重くなく。。
印象の作品にはいつもそう感じさせる魅力があります。
もしかしたら、それが印象にとっての「生きる」ということなのかもしれません。
「秋色」は小さいながら、横に広がる余白が、その堂本印象らしさを十分表現できている作品だと思っています。
虫の音とともに一人歩く。
そんな秋の風景画です。
堂本印象 「秋色」 絹本 尚郎箱 ひさお
17.5×33.5㎝ 税込275,000