もう一点、新しく入手致しましたのは、山口薫の水彩作品です。
まだ入手したばかりですので、こちらも飾り付けの準備ができましたら、あらためてご紹介いたしますが、何と言っても薫の詩、そして牛の顔。
私は、薫について余り調べた事はありません。作品に対する評価、批評文にも余り触れた事がありません。
ですから、皆さまが良くご存知の事を、ちんぷんかんぷんにここに書き、「え?」と思われてしまう事があるかもしれませんが
それを恐れず、いつものように勝手に書かせていただく事にすると、、
薫にとって、犬や猫は家族、馬は自身、牛は思い出や憧れを意味する様に感じられています。
「ごく馬鹿のような顔をして私は街をゆく 心の楽しいとき」
この詩を読んで佐橋は涙が出そうになったと言い、この作品を高く評価しています。
私にはこの作品も、佐橋の評価も、やはりよくわからない部分が多くありますが、
ただ、今更に驚くのは「心の楽しいとき」という言葉です。
「楽しい時は、思わず顔がほころんで街を歩いている」とだけなら普通なのですね。
けれど、薫は最後に「心の楽しいとき」と添えています。
そうした「楽しい自分」さえも冷静に見てしまう、疑いを持ってしまうのです。
その時は本当に楽しかったのでしょう。
牛の角と角の間に小鳥を乗せたい位🐥
けれど、楽しい気持ちは水彩の絵の具のように直ぐに水に溶け出し、淡い思い出になっていきます。
薫作品に皆さまは何をお求めになるのでしょうか?
私はこの作品を高く評価したいという主人に驚き、長く一緒に暮らしながら、まだちっとも薫の事も、佐橋の心も理解していないことにショックを受けました。
かと言って、若い時のように、相手を深く理解しようとは思いません。
ただ、私と違う心がそこにある、それはこんなに深い哀しみなのか、、
それだけをわかっていようと思います。そして、これからも薫からも佐橋からも離れずにいようと思います。
よく見ているとこの顔は鹿の様にも感じられてきます。
えー〜ー、しか⁉︎
杉山寧作品も薫作品も、店内に飾らせていただきましたら、またご紹介申し上げますね。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます