つれづれ

名古屋市内の画廊・佐橋美術店のブログ

かくれんぼ

2022年09月11日 | 日記・エッセイ・コラム
ランニング姿で失礼します。

孫のサイチです。

この夏2歳になりました。

よく店で、一緒にかくれんぼをして遊びます。

「サイチ君、どこだろう?」

私がこの日、突然かくれんぼを始めたので、隠れる場所が見つからなかったサイチ君は、慌てて自分の顔を隠しました。

どういうわけか?「こうすれば、自分は相手に見えない!」と、そう咄嗟に思いついたのだと思います。


私はなんだかとっても可愛くて、楽しくて、そのまま見えないふりをして、かくれんぼを続けました。



「サイチ君、見つからないなぁ〜どこだろう?」



彼がお顔から手を離したその時が「みーつけた」のタイミングです。





けれど、なんと(´⊙ω⊙`)彼はこのまま移動を始めたのでした。







気の毒に、早速、丸テーブルにぶつかってしまいました。ちょっと痛そう。。


が、その失敗を活かして、私に見つからないように、パッと一瞬顔から手を離し、歩く方向を見定める事を覚えました。

こうなると、私も見ないふりをするのに必死です💦



そして、図書室まで歩いて、「あれれ?手をお顔から離さなくなったぞ」と思っていると、、





笑笑。

短い時間に、手をずらして、片目で周りを見る事を覚えていました(^_-)





そして、一通り、「手で顔を覆いながら移動する術」を習得すると、徐に両手をお顔から離し、

〜しばらく目を手で強く抑えていたので両目のピントが合わないのに驚き、呆然としていた様子も可愛らしかったのですが〜

「あ!サイチ君、みーつけた!」と私が言うと、ニコッと笑って走り寄って来てくれました。







秋は当店の「無眼界展」の季節です。

この無眼界という言葉に寄せる私達の想いを、思いがけず孫がこの時体現してくれたように思いました。

簡単に言えば「全て自分だ」という事だろうと思います。

見ているのも、見られていると思うのも、全て自分自身の認識です。


年を重ね、私達は色々な物を失いながら、ただひたすらに、この幼い人達のような心を取り戻そうとしているように感じてなりません。

もともと持っている物を知る為に一生を費やし、薄々知って、さらに極める。

その為になんと無駄な時間や感情を費やしてきてしまった事か、迷惑もかけ、恥をかいてきたことか、、
その時は知らなくてよかったんだな、あの時は本当に楽しかったのだから、、、

私たちは色々な思いの中でまた新しい1日を迎えるのですね。





言葉が出るのが少し遅いかなと思っていましたが、言葉を持たない「今」こそ、彼と心を通じ合わせてみるチャンスだと私は考えています。

いかに柔らかい心で子ども達と遊べるか?それはもう神さまとの交信に近いことです。

又、それは、一枚の絵を見ていかに感動し、反省し、自分を発見するかと同じ作業だと思えます。

とにかく楽しい。楽しまなくっちゃ。そう感じられます。


※今年の無眼界展は「杉山寧展」とさせていただこうと思います。

 















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